音楽メディアや音楽評論家・ライターの存在意義、スタンスが問われる昨今。私は(自分がそちら側だからというのもあるが…)「文化を保存する」という意味合いにおいて、音楽を発信することは、変化する時代の中で一定の役割を果たしていると考えている。
特に2000年以降、アジア各国にインターネットが普及してからは、好きなアーティストの情報を調べる時に、まず現地の情報に触れ、翻訳アプリを駆使しながら、理解を深めた人も少なくないだろう。
では、情報の向こうにいる「日本以外の国で音楽文化を保存する人たち」は何を考えているんだろう?
今回は、台湾のInfong Chen(以下、Infong)が登場。歯科医と音楽評論家の2つの顔を持つ彼は、30代に差し掛かってから音楽評論・音楽研究の道へ進んだという経歴の持ち主である。台湾に6校しか残っていない指定国立研究大学の一つであり、医学系の名門「國立陽明大學(2021年に國立交通大學と合併して現在は國立陽明交通大學)」の歯学部を卒業。歯科医として数年間勤務した後、2017年にイギリスに渡りリバプール大学 音楽業界研究修士課程で1年間学んだ。
それだけでも大きな決断だが、帰国後すぐに歯科医とのダブルワークがスタート。台湾の名門レーベルWhite Wabbit Recordsの関係者として活動。音楽雑誌『小白兎通訊 WWR Express』の編集や、音楽フェスティバル『LUCfest貴人散歩音樂節』へファシリテーターとして参加したことを契機に、吹音楽 Street Voiceなど音楽メディアへ寄稿を行っている。さらに、CINRAが立ち上げた”アジアのクリエイティブ・シティガイド”『HereNow』では、タイを代表するSSW、Phum ViphuritとWhite Wabbit Recordsの創設者である葉宛青(通称K.K)の対談の構成・執筆を担当。この記事はCINRAにも日本語版が転載された。
その実績が認められ、2023年の金音創作奨 Golden Indie Music Awards(※台湾政府が主催する、クリエイティブな音楽に焦点を当てた音楽アワード)では、音楽評論家として唯一、審査員団へ加わった。
取材は、2024年9月下旬、White Wabbit Recordsから徒歩数分のカフェで行われた。穏やかな語り口でありながら、多彩な活動を広げるInfongのストーリーとバイタリティに引き込まれるように、あっという間に過ぎた2時間の様子をお届けする。
Infong Chen
1985 年生まれ、台湾高雄市出身。國立陽明大學歯学部卒業後、歯科医として勤務。2016年にイギリスのリバプール大学 音楽業界研究修士課程へ進学。2017年帰国後、音楽雑誌『小白兎通訊 WWR Express』の編集や、国際音楽ショーケースフェスティバル『LUCfest貴人散歩音樂節』へファシリテーターとして参加。その後、吹音楽など様々な媒体に記事を寄稿。2023年の金音創作奨(Golden Indie Music Awards)では唯一、音楽評論家として審査員チームに加わる。日本音楽研究家としての顔も。
Facebook:https://www.facebook.com/infong.chen
Instagram:https://www.instagram.com/infongchen/
「遅れてきた反抗期」30代で音楽研究の道へ
“「リバプールに行けば音楽マネジメント、音楽ビジネス、音楽文化など、そういったものが学べる…と」”
Infong
━━今ではすっかり台湾音楽メディアのキーパーソンとなったInfongさん。30代から音楽関係の活動を始めたそうですが、それ以前のお話を少し聞かせてもらえますか。
高校卒業後、1年浪人して入学した國立陽明大學の歯学部に通う傍ら、音楽活動を趣味で楽しんでいました。バンドを組んで、L’Arc〜en〜Cielをヘタなりにコピーしたり、大学の他学部で行われていた音楽鑑賞の授業を受講させてもらったりなど自分なりに音楽との接点を持っていました。音楽鑑賞の授業を受けただけでなく、後にその授業の講師となり、(大学生でありながら)ロックンロールの歴史を教えたりもしました。
━━自らが講師となるとは、既に隠しきれない才能が溢れていますね。それに、日本の音楽がお好きだったんですね。
同世代の多くがそうであるように、子どもの頃から日本のドラマやバラエティなどに親しんで育ったんです。タイアップとして流れる音楽を通して、当時のJ-POPを知り、自分の中の文化として自然と身についていきました。
━━学生時代、台湾の音楽シーンとの接点についてはいかがでしょうか?
2010年前後もRevolverやThe Wallなどのライブハウスはありましたし、インディーズの名門レーベル『White Wabbit Records』が運営するレコードショップもThe Wallの中にありました。ただ、通っていた大学のキャンパスはThe Wallがある文化的なエリアから少し距離があった※ ので、半年に1回遊びに行けたらいいな、くらいでしたね。
そうした中でも、著名な音楽評論家、マー・シーファン(馬世芳)の名著『地下鄉愁藍調(アンダーグラウンド・ノスタルジア・ブルース)』を読んで自分なりに知識を深めるなどしていましたが、本当にごく普通の大学生として大学生活を終えましたね。
※北投区は台北市の北側で、The Wallなど文化的なエリアのある大安~文山区はやや南側にあり、移動には1時間弱かかる。
━━それが2010年代半ばに大きな転換期を迎えている。
大学卒業後、歯科医として働いている時、急に「この仕事が実はそこまで好きじゃなかったな」「歯科医だけを一生続けていくんだろうか…」と思うようになったんです。
そんな中「友人の友人が、イギリスのリバプールに行って、大学でポピュラー音楽の研究をする」という話を聞いて、衝撃を受けました。それまで音楽を学ぶというのは、演奏や作曲を学ぶものだと思っていましたが、リバプールに行けば音楽マネジメント、音楽ビジネス、音楽文化などが学べると。そういう可能性もあったんだ! と驚きましたね。
━━確かに、演奏以外で音楽に関することを学ぶ選択肢があるということ、意外と知られていないかもしれません。
その頃、2014年に台湾では「ひまわり学生運動」が起こり、若い世代を中心にFacebookでの情報共有が行われるようになりました。僕もFacebookを見るようになり、そこで初めて、マー・シーファンがリアルタイムで発信している情報に触れ、音楽評論家のコミュニティがあることも知ったんです。ブライアン・ジョン(レコード会社出身で今は著名なメルマガ『22世紀衛星』の主催者)、ダミアン(台湾随一の音楽Webメディア『吹音楽 Blow Music』編集長)、ワワ(人気のFacebookページ『瓦瓦的專欄時間 』の管理者で現在『吹音楽 Blow Music』の編集者)を知ったのもこのころです。
━━彼らから影響を受け、自分でも何かやりたい、と思うようになったのでしょうか?
現実から目を背けるように、音楽シーンの研究に没頭していきました(笑)。まず、大きく変わったのは音楽の趣味です。大学時代はメジャーなロック、メタルバンドを中心に聴いていましたが、White Wabbit Recordsの代表のK.Kや、店長のウィリアムと出会い、一風変わった音楽も聞くようになっていきました。
White Wabbit Recordsは2010年ごろにThe Wallの地下から現在の國立師範大學の裏通りに引っ越したんです。週に3~4回は通い、レコードを数枚買って帰る。そして気に入った音楽があればFacebookに短いレビューのような感想を投稿する。まとまった形にはなっていませんでしたが、少しずつ自分なりに得た知識や感想を共有するようになっていきました。
━━社会が変化する中で、副次的な効果として、Infongさんも変わっていった。
フィジカル音源と同時に、ストリーミングサイトも活用しました。大学時代に読んだマー・シーファンの本をもう一度開き、知らない音楽やアーティストを片っ端からKKBOXやSpotifyなどでチェック。本と音楽を行き来して、知識の穴埋めをしていったんです。
━━やり方が、真面目な学生さんっぽいですね。
今振り返ると、アラサーになって「遅れてきた反抗期」を過ごしていたのでしょう。歯科医として勤務していた頃は、一日中公園で音楽について語り合ったり、ライブハウスでビールを飲んだりして過ごす「音楽界隈の人」が羨ましく、自分もそうなりたかった。でも、そのコミュニティに入っていくことはできないと思い込んでいました。
結局今もダブルワークしているので辞めてはいないんですけれど、音楽シーンの人たちとの交流が深まるにつれ、普通の生き方をしなくてもいいんだと思えるようになりました。そもそも、大学に入るまで一浪しているし、歯学部は6年あるし。
でも、母に「歯医者を辞めたい」と言ったらすごく驚かれて、怒られたこともありましたよ(笑)。そんなこともありながら、勤務していた歯科医院を退職し、まずは2016年に念願のイギリス・リバプールへ留学しました。
“卒業論文のテーマは「サイケデリックミュージック」。私自身サイケが好きで、当時はイギリスやアメリカでサイケデリックミュージックの音楽フェスティバルが多数あり、興味を惹かれたんです”
Infong
「音楽評論家」が貢献できること
━━リバプール大学の修士課程で学んだあと、本格的に音楽評論家としてのキャリアをスタートし、歯科医とのダブルワークになるわけですよね。
2016年から2017年の1年間、リバプール大学 音楽業界研究 修士課程で1年間学びました。授業の傍らたくさんのライブに行ったり、図書館にいて音楽関係の論文を読み漁ったり。本当に充実していましたね。そして2017年に卒業して台湾に帰る直前、K.Kから「White Wabbit Recordsで1年間雑誌を発行するから、その編集者を探している」と聞いて、迷わず手を挙げました。
━━White Wabbit Recordsが重要な役割を果たしているわけですね。
実はリバプールに行く前、『White Wabbitの店舗スタッフになりたい』と周りに話していたんですが、誰も真剣に受け止めていなかったんです。歯医者の方が収入が良いのは明確なので、それはそうですよね(笑)。
雑誌編集の話と同時並行で、2017年11月にWhite Wabbit Recordsが主催する国際ショーケースフェスティバル『LUCfest貴人散歩音樂節』がはじまり、ライブイベントのほかに世界各国のレーベルオーナーたちをゲストに招いたシンポジウムやフォーラムを開催することになりました。そこで僕は中国語と英語、少しだけ日本語が話せるという強みを活かしてファシリテーターとなり、音楽関係者とのつながりが一気に増えましたね。そうそう、2人目に登場している大崎晋作さんと初めて知り合ったのも『LUCfest貴人散歩音樂節』がきっかけでした。
━━Infongさんの生き生きした様子が目に浮かぶようです。
『LUCfest 貴人散歩音樂節』にはレーベルオーナーだけでなく、アジアの有名フェスの主催者も招かれていて、例えば、後にCHAI、No Party For Cao Dong、Silica Gelなどを招聘したタイ・バンコクで開催される音楽フェスティバル『Maho Rasop』のオーガナイザーも来ていました。
困ったのは、海外の音楽関係者から「君は何をやっている人なんだ?」と聞かれた時です。本業は歯医者で、アーティストでもなく、レーベルオーナーでもない。私は音楽シーンを身近に感じて、観察し、研究したいけれど、大学にいたいわけではない。もっと面白い方法でやりたい…その瞬間「音楽研究者」としてのアイデンティティが確立したんです。
“『LUCfest 貴人散歩音樂節』の合間に、アジアの音楽関係者と話しました。「なぜシティポップがまたブームになったのか?」など、意見交換をしたのは本当に良い思い出です”
Infong
━━その後Infongさんは、順調にキャリアを積み重ね、2023年、金音創作奨 Golden Indie Music Awardsの審査員として参加されています。機密事項も多いと思いますが、お聞きしたいのは、音楽研究者が審査員として参加する意味です。審査委員長は毎年音楽アーティストで、研究者はどちらかといえばマイノリティですが、どういった面で貢献されていますか?
俯瞰して見られるということでしょうか。GIMAの審査団は、毎年20人から25人のチームで、プロデューサーやアーティスト自身が多くを占めています。彼らは忙しく、大抵、一つのジャンルの専門家です。もちろん僕はミキシング、マスタリング、サウンドエンジニアリングなど、技術的なことは彼らに到底及びません。しかし、もし2つの作品があって、どちらか1つの作品を選ばなければいけない場合に、その理由や表彰する価値を見出すことができます。
━━確かにGIMAのノミネート作品、受賞作品のラインナップを見ていると、非常に多角的な視点で選ばれていて、ストーリーが生まれている、と感じました。
ストーリー性だけで音楽が評価されるべきではないのですが、音楽性のみで評価する必要もないと考えています。たとえば2023年に亡くなったギタリストウェイン・リュー ※ が生前に残した音源を基に、彼の仲間が発行した『劉暐個人專輯』は、作品は荒削りです。しかし、彼は資本主義化が進む台湾の音楽シーンにおいて、90年代で時が止まったかのように活動するカート・コバーンのような存在でした。この作品は2024年のGIMAで審査員賞に選出されましたが、彼のようなアーティストを表彰することにはやはり意義があると思います。
※劉暐(ウェイン・リュー):1985年生まれ、台北出身。傷心欲絕、孝順一族、BB彈など主にパンクバンドでギタリストを歴任。2023年に38歳という若さでこの世を去った。
リバプールで気づいた、日本の音楽シーンが特別なある理由
━━さてInfongさんは、現在研究者として更にキャリアアップすべく、書籍の出版を準備しているとか。そのテーマには「日本の音楽」が含まれるそうですね。その背景を伺えますか。
話はリバプール時代に戻るのですが、学びの時間はとても楽しい一方で、時々リラックスしたい時があり、元々親しんでいた日本のバラエティやドラマの映像を何とか入手して見ていたんです。テレビだけでなく『オールナイトニッポン』などのラジオ放送も聞いていました。
プライベートでは日本のコンテンツに触れながら、大学院で西洋の音楽ビジネス、音楽産業を学ぶ。そしてある時、急に気づいたんです。「日本の音楽ビジネスは、西洋のやり方と違うのでは?」と。
━━音楽研究家ならではの視点が既に萌芽している。
『東京ラブストーリー』の主題歌で広まった小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」。JR東海のCMでドラマ性を盛り上げる山下達郎の「クリスマス・イブ」。ストーリーの意味を深めるためのタイアップで音楽が爆発的に浸透する現象は日本特有のものですよね。またテクノポップが多くのテレビ番組の効果音として引用されたり、着うたの時代があったり……。
日本のポピュラーミュージックとその発展を支えてきたビジネスには、その他の国にはない多くの文脈と物語がある。そして、僕が普段聞いているサイケデリックミュージックは日本にも良いアーティストーーたとえばAcid Mothers Templeなどーーがいますが、ポピュラーミュージックの文脈の外にあるんだ、と。
━━親しんできた日本文化と、リバプールでの学びが線でつながった。
僕は音楽リスナーとしてアメリカやヨーロッパの音楽も聴きますが、西洋の市場は自分から離れすぎていると感じます。それと比べれば『EIGHT-JAM(関ジャム 完全燃SHOW)』で学びを深められる日本の音楽シーンは、興味深く、身近に感じられるものだったんです。
“「シティポップは特別ですね!調べれば調べるほど、音楽のジャンルである以上に、戦後日本の発展を象徴するシティ・ミュージックであると感じます」”
Infong
本の出版を準備中。もっと日本の音楽の研究に没頭したい!
━━日本と台湾の音楽シーンを研究されていて、両者の違いについてどう思いますか。
まず正直に言うと、日本の市場はとても羨ましいです。もちろん、アイドルグループがもたらしたマイナスの側面や、旧ジャニーズ事務所の事件など、日本のエンターテイメント市場には大きな問題があるとは思います。また、世界中で受け入れられているのは主にアニメ周辺のカルチャーで、インディーズアーティストを届けるための課題があることは認識しています。それでもなお、日本の音楽シーンには良いニュースがありますよね。ノイズ・ミュージックもあれば、アイドルやポップソングも幅広く擁する日本の音楽シーンはやはり特別です。
━━台湾から見て、日本の音楽シーンはどうなっていくと思いますか?
より「個人の時代」になっていくのではないでしょうか。以前は、ファンベースを広げていくためには『ミュージックステーション』など音楽番組に出演することが必要でしたが、今はそういう時代でもないですよね。レーベルから独立して個人事務所を構えるグループも増えている。音楽業界だけでなく、10年~20年前と比べて転職のハードルが下がっていて、大きな会社を出ることに抵抗がなくなってきたことも関係しているのかもしれません。
━━日本の音楽シーンの仕組みがガラパゴス化されていることに触れていましたが、これはどうなっていくでしょうか?
海外で売り出すアーティストが増えていく中で、日本のシステムも徐々に世界標準に近づいていくのではないか、というのが私の予想です。西洋のシステムに適応する一方で、YOASOBIのようにアイデンティティを変えない、ということも時には必要でしょう。大きなドメスティックマーケットがある中でどれだけの人が「海外に出たい」と思うかが、一つのポイントになるでしょうね。
━━そこに台湾のシーンとの対称性があると思います。普段、台湾のアーティストと話していて、海外に出て「まずは戦ってみる」という姿勢に刺激を受けることがあります。もちろん内需の規模の違いや、政府からの補助によりチャレンジしやすい環境は整っていると思うのですが、それでも「話を決めに行く」強さがある。
一方で、本気で海外で成功するという野心を持って活動しているアーティストがどれくらいいるのか、そして台湾のシーンがその野心を育てられるのか?というのは疑問です。
台湾にはたくさんの音楽祭や政府のスポンサーシップがあり、ほとんどのアーティストがミュージシャンと昼間の仕事を掛け持ちしています。Golden Indie Music Awardsは数年前から「海外へ活躍の場を広げるアーティストを奨励する」という方針を敷いていて、実際に海外との交流を促進していますが、政府から制作費の提供を受けて良い作品を創り、そこで満足するアーティストもいます。もちろん全員に海外に出ることを強いることはできませんが、台湾の音楽が世界でプレゼンスを築くためには、もう少し時間をかける必要があるでしょう。
━━なるほど、台湾と日本の音楽シーンに深い洞察を持つInfongさんですが、今準備中の書籍はどんな内容になりますか。
僕はこれまでたくさんのインタビューやレビューを書いてきましたが、それらを膨らませたものになると思います。日本と台湾シティポップの対比や、サイケデリック音楽の研究など、小さな研究の集合体に加筆修正を加えたものになる予定です。それから、台湾のインディーズシーンの近代史がまとまった書籍がないですよね。
━━ないんですよ、それが!(笑)今起きていることはなんとなくFacebookを見て知れても、2000年代、2010年代前半までの動きがキャッチアップできていない。これは結構な悩みでもあります。
実は、2019年に大阪大学で行われた『日本ポピュラー音楽学会第31回大会』に参加した際には、日本語力の問題で内容は半分程しか理解できませんでした。でも、台湾では知られなかったけど、日本なら誰でも知っているようなことを吸収できたんです。なので今後は、大阪大学の文学部・大学院文学研究科教授でポピュラー音楽研究の第一線で活躍されている、輪島 裕介先生のもとで多くを学べたらいいなと思っています。そして、これからも「音楽シーンを観察する人」として、台湾と日本を行き来します。
━━ありがとうございました。出版準備が整えば、是非お知らせください!