今振り返るK-POP前夜。
「少女時代」仕掛け人、土屋望さんに訊く新しい文化の道筋
アジア音楽の発展に思いを馳せる昨今。皆さんの感性に刺さるアジアのアーティストがいるものの、頭のどこかで「売れてほしいけれど、K-POPには敵わないよね……」と感じているのではないだろうか。日本における韓国の音楽シーンは、韓流ドラマを第一世代とする草創期から始まり、BTSが世界的に成功を収める現在まで、圧倒的な存在感を誇っている。
しかし、K-POPと他のアジア音楽との間に、共通する要素はないのだろうか?
今回は「K-POP」という言葉が生まれる少し前、第二世代の黎明期に韓国音楽の日本展開・プロデュースを仕掛けた土屋 望(つちや のぞむ)さんが登場。
土屋さんは、大学卒業後、東芝EMI(現在はユニバーサルミュージック合同会社)へ入社。忌野清志郎等のADを経て、ICE、DREAMS COME TRUEを手掛けた後、鬼束ちひろを発掘し、ミリオンヒットへと導いた。
その後、エスエム・エンタテインメント・ジャパンのCBOへ就任。少女時代、SHINee、BoAなど多くの韓流アーティストをプロデュースし、K-POPブームを牽引した。現在は日韓のいくつかのエンタメ企業の戦略アドバイザーや楽曲プロデュースを担っている(土屋さんの詳しいご経歴は、Musicman掲載の記事 を参照していただければと思う)。
今回、土屋さんに「異文化をカルチャーとして広めるにはどうすればいいんでしょうか……」とざっくばらんに伺ったところ、時代に合わせて価値観をアップデートしていく重要性に気づくきっかけを頂けたのでご紹介する。
Profile:土屋 望(つちや・のぞむ)
プロデューサー。1964年生まれ。東京都出身。早稲田大学卒業後、1989年に東芝 EMI(現ユニバーサルミュージック)に入社。制作ディレクターとして忌野清志郎、ICEなどを歴任。1997年に英国Virgin Recordsの日本法人としてメロディー・スター・レコーズを設立、Dreams Come Trueその他を担当した後、鬼束ちひろを発掘、プロデュースとマネジメントを兼務。2001年アルバム「インソムニア」が180万枚のセールス、第16回日本ゴールドディスク大賞にて「Rock album of the year」、第43回日本レコード大賞にて「最優秀作詞賞」を受賞。全曲プロデュースを担当した彼女の3枚のアルバムは合計300万枚のセールスを記録した。 2010年から韓国最大手のSMエンターテインメントと契約。少女時代、SHINeeの全ての日本オリジナル楽曲のプロデュースとブランディングを担当。2011年、少女時代のアルバム「Girls Generation」が110万枚のセールスを上げ、第26回日本ゴールドディスク大賞にて「Album of the year(アジア部門)」を受賞。その後、BoA、EXOその他のK-POPアーティストのプロデュースを担当。現在はSMC(旧SM JAPAN)のアドバイザーの他、日本、韓国のエンタメ企業数社から業務委託を受けている。
「K-POP前夜」から始まった日本展開――慎重に築かれた信頼関係
━━鬼束ちひろさんが大ヒットした頃、私はまだ思春期で、妹ともどもファンでした! 当時の記憶が蘇りますが、今日はお会いできて光栄です。鬼束さんの成功から少し経ち、韓国のアーティスト、特に少女時代の日本進出に携わられた時期についてお話を伺いたいと思います。当時はまだ「K-POP」という言葉も広く知られていなかったですよね。まず、エスエム・エンタテインメント(以下、「SME」)との出会いについて教えていただけますか?
そうですね、実はあまり外で話していなかったのですが、最初に韓国のSMEと接点を持ったのは2008~2009年頃で「時代が大きく変化する中で、これからの日本の音楽業界との向き合い方をどうしていくべきか」という意図の相談を受けました。当時は、すでにBoAは日本で成功を収め、東方神起もブレイク寸前の状況でした。彼らは日本で地道な努力を重ねて成長してきたアーティストです。BoAはわずか14歳で日本に来て、言葉、歌唱、ダンスのレッスンを重ね、東方神起は当初はメンバー全員とマネージャーが1つの部屋に住んで、仕事がないので自転車で都内を徘徊していたそうです。
━━YouTubeの出現※ は、韓国アーティストの環境を大きく変えたと言われていますね。
その通りです。SMEは、YouTubeというグローバルな動画プラットホームにミュージックビデオをアップすることで、日本では「来日する前から人気が出て、初来日でファンが羽田空港に押し寄せる」という未来を予見していました。しかし、それは日本の音楽業界から見れば、突然現れた黒船のように映るリスクがありました。SMEには「日本の市場拡大に貢献したいし、そのための適切な手順を踏んでいきたい」という意向が確かにあり、誤解を避けるために、慎重にブランディングを行う必要があったんです。そこで、どういうわけか僕のところにその話が来たんです(笑)。
※YouTubeは、日本では2007年6月に日本語版のサービスを開始。
━━韓国側がそうした先回りをしていた背景には、どんな感覚があったと思われますか?
韓国はあらゆる産業が国外に向かう宿命(内需が小さい)を持っている国です。自説も含まれますが、韓国はインターネットの効用をいちはやく認識し、それを自国外でのビジネス拡大のツールとして捉えたんだと思います。インターネットを国外へのエクスポートのインフラとして活用する感覚が優れており、コンテンツをネットに集約していく必要性を早くから理解していたのではないでしょうか。
━━その敏感な嗅覚が「配慮」として日本市場にも反映されていったのですね。
韓国の音楽業界は今でも「突然現れた侵略者」という誤解を避けるため、細かい配慮を重ねています。SMEとの付き合いが深まる中で、ある時「土屋さん、私たちが新たに日本にローンチしたいアーティストがいて『少女時代』というグループです。知ってますか?」と聞かれ、「いや全然知らないです、、、」というところから、少女時代との仕事がはじまりました。
━━まさに、『K-POP』前夜ですね!
“韓国と日本を何往復もしていたので、パスポートは「韓流好きのおじさん」の様相でした(笑)”
Nozomu Tsuchiya
「ゼロから学ぶ」少女時代プロジェクトの立ち上げ
━━日本の邦楽シーンで大ヒットを収めた土屋さんが、韓国のアーティストとのプロジェクトにどのように関わりを持ち始めたのか興味があります。立ち上げ時にはどんなアプローチを取られていましたか?
1人の人間が、鬼束ちひろと少女時代をプロデュースするのは、振り返ればかなり奇妙な経験でした(笑)。ただ、僕の基本的なアプローチは常に「ゼロから学ぶ」という姿勢です。
鬼束と出会った時、彼女はまだ高校生で、カントリーミュージックが好きでした。一方僕はリスナーとしては学生時代から黒人音楽が好きだったので、カントリーミュージックを聞きながら「これがカントリーか、、、彼女はどうして好きなんだろう」と、彼女の音楽背景を知るところから始めました。
━━韓国のアイドルは、更に未知の世界ですよね。
日本でアイドルのプロデュース経験もなければ、「第一世代」の韓国ドラマにも詳しくなかったので、ソウルに何度も足を運んで、彼らがどういうマインドでビジネスをしているのか、すべてを学んでやろうと思いました。SME本社の人は「日本の変なおじさんがノートを持って現れて、たくさんインタビューして帰っていくな……」と思っていたでしょうね。当時の僕は40代中盤でしたが「ベテランの新入社員」という心持ちでした。韓国と日本を何往復もしていたので、パスポートは「韓流好きのおじさん」の様相でした(笑)。
━━それは大変な挑戦でしたね。新しい文化と、これまでのキャリアの融合はどのように行われたのでしょうか?
あまり融合はしないかな。キャリアを積み重ねるというよりも、僕の場合はキャリアは分断されてます(笑)。その時々のプロジェクトごとに新しくリセットされちゃうんですね。
ただ一つ言えるのは、僕がプロデューシングをするときのアプローチには決まったパターンというものは一切なくて、何かの縁やタイミングで出会ったアーティストと、その時代の雰囲気(みたいなもの)との最適な接点を作ることにフォーカスします。そしてK-POPの場合はアーティストと世界中のファンの皆さんが1日でも長く幸せでいてくれたら良いなと思います。
そのためには日本での経験はむしろ邪魔になることもあると感じました。なのでそれらは一旦忘れて、まずは純粋に相手を理解することが鍵でした。
“何かの必然性があるときは別にして、地球上の人は皆、生まれた国、地域の言語で歌を歌うことが当たり前だと思うんですね。”
Nozomu Tsuchiya
初来日で2万人が来場!プロデュースの役割の再定義
━━少女時代は初来日の時点で、相当人気があったと伺いました。
最初は日本デビュー前に韓国版MVを収録したDVDをリリースして、購入者が参加出来るショーケースライブを開催しました。会場を決めるときに、僕が「アスリートみたいな人たちだからスポーツ会場がいい」と言ったら、有明コロシアムと秩父宮ラグビー場が候補になりました。立地的には圧倒的に秩父宮ラグビー場ですが、屋外だから隠れるところもないし格好がつかないなと(笑)。それで有明コロシアムに決めました。申し込みが殺到して、急きょ3回公演に変更しました。
━━日本の新人をプロデュースするのとは全く違っていた。
ゼロイチの新人って、知ってる人が誰もいない状態、ファン0人からはじめるじゃないですか。それまでは「すぐにはメディアが扱ってくれなくても、みんなの心を動かすことはできるはずだから、そういう存在になれるように頑張ろう」と鼓舞して成長させていくスタイルでした。少女時代の場合、まだデビューしていないのに、2万人以上の集客がある。「自分の役割は何だろう?」と自問し、この仕事における「プロデューサーの役割」を再定義するところから始まりましたね。
━━本格的にプロデュースをはじめた中で、プレッシャーだったことや対峙していた課題はありますか。
実は今もこの課題と闘っているんですが(笑)、僕の最初の役割は「韓国語歌詞の曲を日本語歌詞にする」というもので、これが大プレッシャーでしたね。韓国人として生まれて韓国語でハイレベルのパフォーマンスができる子たちに、わざわざ日本語のリリックを当て込んでマイナーチェンジ版を歌わせる、しかも、そのことに対してメンバーから異論を聞いたことがない。
━━「海外に出ざるを得ない国の宿命」をアーティストが誰よりも理解しているのでしょうか。
そうかも知れません。でも僕は何かの必然性があるときは別にして、地球上の人は皆、生まれた国、地域の言語で歌を歌うことが当たり前だと思うんですね。
少女時代の時はK-POPブームが起こる前で、韓国よりも日本市場の方が大きかったのでまだ理解できましたが、K-POPが確立すれば全てが韓国語になって終わると思っていたんです。でも、まだ今でもK-POPアーティストが日本語で歌ってるのは僕の読み違いでした。ファンが望んでるんだったらファンの期待に応えるという理屈が成り立ちますが、今やかなりのK-POPファンは韓国語を理解していて、コンサートでも半分のファンは韓国語のMCを聞いて同時に笑っている。この状況でも、まだK-POPアーティストは日本語楽曲をリリースしています。世界的に見ても非常にユニークなカルチャーですね。
「日本の活動に興味を持ってもらうには?」
━━日本デビュー当時、少女時代はすでに大きなファンベースを持っていましたが、その後のブランド力の維持にはどのような努力があったのでしょうか?
メンバー自身に日本での活動に深い関心を持ってほしいと考えていました。韓国人にとっては隣の国で活動するのは、なんて言うか、まあ出張感覚ですよね。でもそれだけだとファンはわかっちゃうんですよね。そうじゃなくて、本気で日本の活動に気が向いている、というのがないと、良い関係性が築けない。そこが原点です。
━━日本の活動に意識を向けてもらう。
僕は楽曲プロデュースの役割だったので、「メンバーが韓国の本国の楽曲と同等以上に、日本のオリジナル曲を好きになってくれないかな」っていうのが密かな目標でした。
通常は韓国のヒット曲を日本語でカバーしますが、僕はその逆を考えていて、こちらで作った日本の楽曲をメンバーが気に入って「韓国のライブでもやりたい、(あるいは)韓国でリリースしたいから韓国語バージョンを作りたい」と韓国側から言われたいなと(笑)。逆カバーの状態を誘発したいと願いつつ、時代や役割を意識したアルバムの制作コンセプトや、グローバル市場を見据えた楽曲の企画意図を、周到に入念にメンバーに説明をしました。その結果、かなりの数の逆カバーが成立しました。
土屋さんが発注して、アメリカの作家チームが楽曲を制作した「MR.TAXI」は、その後韓国語バージョンが制作された。 また「Catch Me If You Can」は、日本でリリースしようとしたところ、SM創業者のイ・スマン氏が楽曲を聴いて「これこそ今の少女時代がやるべき楽曲だ。ぜひ韓国版も作って日韓同時リリースに出来ないか」ということになり、急遽MVも日本語版、韓国語版として撮影し直して、日韓同時リリースに至った。「そんな事例は後にも先にもこの1回だけでした」(土屋さん談)
━━当時は、少女時代と同時に、いくつかのK-POPガールズグループが登場した時代でもありました。
僕は女性アーティストはソロでもグループでも、複数で一緒にシーンを作った方が、みんな長続きすると思ってます。少女時代のときは同時期にKARAが日本で凄く人気があって、両者をライバルとしてメディアが扱っていたので相乗効果がありました。実際メンバー同士は仲が良かったんです。少女時代のメンバーがKARAのメンバーを紹介してくれたこともありました。
━━ライバルがいるとシーンになっていきますよね。
相手と違うことをやればいいので、こちらの指針が立てやすかったですね。KARAが比較的J-POPライクな楽曲+ダンスでフレンドリーな見せ方をしていたので、それを見ながら、少女時代はそれとは違うブランディングをしていました。
━━具体的に気を付けていたポイントなどはありますか。
当時のKARAは日本でのスケジュールを重視したシフトだったような印象がありましたが、少女時代は韓国スケジュールがメインで「来日」出来る時間が非常に少なかった。短期間で最大級のインパクトを残すために、J-POP寄りのKARAに対して、少女時代は完全洋楽サウンド+世界レベルの圧倒的なダンスパフォーマンスで臨みました。でも細かいことですが、CDのジャケット写真のメンバーのヘアスタイルは、日本人好みのスタイルをサラっと入れ込んだり、ディテールにはかなり拘ってましたね。日本向きのカッコよさを追求してました。
━━細部まで「ブランディングの神」が宿っている……。
関係者にはわからなくてもいいんです。だって関係者は買わないじゃないですか(笑)。実際にアーティストに注目してくれる皆さんにだけ発見されればいいな。そう考えながら細かい風合いを少しだけ醸し出す、そんなことをやってました。
技術の進化と、影響力を増すファンベースの力
━━少女時代のデビュー後も、技術革新は目覚ましく進みました。スマートフォンの普及やSNS、ストリーミングサービスの登場が業界を大きく変えましたが、これまでを振り返って特に印象的な技術の変化はありましたか?
遡りますが、90年代後半から音楽業界が変わる兆しは感じていました。僕がレコード会社に在籍していた時代に音声圧縮技術(MP3)が誕生し、最初は3分の曲を圧縮するのに25分かかりましたが、この技術は音楽産業を大きく変えると確信しました。
「今は25分かかるけれど、それはすぐ短縮されるだろう。音楽がデータになるんだ」と理解し、それまでの楽曲中心のビジネスモデルが未来永劫続くはずがないと直感しました。
━━土屋さんはそもそも技術革新への感覚が鋭かったんですね。
音楽の進歩と技術の進歩は不可分です。新しいテクノロジーが生まれると新しい音楽が生まれます。歴史を見れば明らかです。その中でもやはりデジタル化、楽曲がデータになるという現実は天変地異の衝撃でした。
楽曲は昔も今も重要です。何が違うかと言うと、昔はみんなレコードやCDが欲しかった。でも、今ファンの皆さんが一番欲しいのは、推しのアーティストが出演するライブやイベントのチケットです。この時代の音楽ビジネスは「ファンが最も欲する」ライブ、イベントを中心に運営されなければいけないのです。楽曲はストリーミングでいつでもどこでも好きなだけ触れられます。
━━先ほどからお話を伺っていると、土屋さんはK-POPという大きなビジネスを手掛けられましたが、一方で「ファン」への向き合いや情熱を感じています。
そうですね。以前は僕たちスタッフサイドが完全に情報をコントロールしていました。ファンは公式的な発表を待つ以外の選択肢がなかったのです。しかし今、そのアーティストの情報を圧倒的に持っているのはスタッフではなくファンの方です。ファンの皆さんが自ら情報を探し、掘り下げ、好みのアーティスト、楽曲を発見する時代に変わりました。
少女時代をやっていた時、僕がプロデュースした日本語の楽曲をリリースした2~3ヶ月後に、韓国のスタッフがあるYouTubeの映像を見せてくれたんです。それはパリの凱旋門広場にフランス人のファンが何百人も集まって、その曲を日本語で歌って踊っている光景でした。「何だこれは?」と驚愕しました(笑)。でも、僕たちはそんな仕掛けは1ミリもしていないんです。それを観た瞬間「今は僕たちスタッフが何かを仕掛ける時代ではない、発見される時代なんだ!」という、新たな教訓を得ました。
━━実際に日本のアーティストも、アニメの主題歌をきっかけにグローバルで人気が出て、ワールドツアーが超満員でスタッフや本人がびっくりしている、というケースがたくさん出ていますよね。
情報が届くという意味では、スタッフが1から100まで世話を焼かなきゃいけない時代ではないですね。もちろんスタッフの献身的な努力は必要です。でもその上で、あえて言えば、自然に、勝手に、不意に届く。誰かに発見される時代だと思ってます。そういう意味では「いつ?なにを?どこに?置くか」が重要ですね。
━━つまり、アーティストとして残っていくためには、熱量の高いファンに見つかっていくことがポイントになるのでしょうか。
最初に見つかった時の熱量は高くありません。しかしアイドルに限らず、シンガーソングライターやバンドでも、今の時代のアーティストは最終的に熱量の高いファンダムを持つことが、長く活動するための唯一の方法になるでしょう。最初のきっかけは楽曲か、ライブか、ビジュアルか、MVかわかりませんが、ゆくゆくは「四六時中情報を追いかけている」ファンを持ち、彼らが集まるコミュニティを作ることがファンダムの形成に不可欠だと思います。
━━その中で、日本のアーティストが海外に仕掛けにいくとすれば、何から始めればいいですか。
まず具体的なイメージを持つことです。「海外」では広すぎます。どこの国、地域のこんな人に届けたい、と想像するのです。今はスマートフォンが全て教えてくれます。ある国の人達に聴いて欲しいと思ったら、その国の若い子のInstagramやTikTokを見まくる。薄ぼんやりとでも何かを掴めたら、いろいろ妄想したり仮説を立てたりするんです。
「海外に仕掛ける」とか、そういう漠然としたマインドでは小さな変革も起こせないでしょう。今の時代は無料で出来ることが無限にあります。国境を越えるには、まずは小さなアクションの連続が大事だと思います。相手(将来のファン)のことを考え続けるのです。
━━まずはファンを見つけに行く、挑戦する姿勢が大事と。
韓国だって別に最初から強かったわけではなく、何のつてもないまま、ヨーロッパに行って最初は相手にされなかったそうですが、何度も何度も通って少しずつ関係を作って、次は日本やアジアの国、地域に対して一つ一つ丹念にアプローチをしていった。そうやって努力してやってきて今がある。最初は何にもなかったんですよ。実行して、上手くいかなくて、反省して、の連続です。
━━そこをノックできる人と、できない人の違いは当然出てくる。
この当たり前の行為が、多分日本人はあまり得意じゃないかな。誰かに紹介してもらおうとか、チャンスがあれば海外に挑戦してみたい、というあまり切迫していないマインドですよね。「外に出ないと生きていけない国」が少し羨ましい気もします。
今「ポストK-POPは何だ?」と世界中で話題になってますが、2~3年前から、グローバルでは南アフリカとか、ナイジェリアとか、グアテマラとか、様々なローカルから新たな女性ソロシンガーが出てきています。それらの多くは話題のラッパーがハブになって、ローカルな国の、まだグローバルでは無名シンガーをYouTubeで発見して、DMで声をかけてコラボレーションを成立させています。全く無名の才気が突然「見つかる」ということが世界の各地で起きています。面白い時代ですよ。
アジアの音楽シーンへの期待
━━今後の音楽シーンについて、未来予測をお聞きできればと思います。最近、土屋さんはアジア圏のアーティストからもご相談を受けているとか。これまでの経験を踏まえ、今後の展望はどう見られますか?
人口動態や経済動向を見ると、次に大きなポテンシャルを持つ有力な地域の一つがアジアだと思います。その中で、タイやインドネシアのアーティストをどうやってグローバルに展開できるかという相談も来ています。ただアジアは言語や宗教、文化が国、地域ごとに細かく異なるので、英語圏やスペイン語圏のように、大きく一元的な構想は難しい部分もありますね。
━━確かに、インドネシアは「人口の約60%が30歳未満」という国で、今後ポップカルチャーでもメインストリームになっていくことが予想されていますね。その一方で、ドメスティックなアーティストが海外に進出する難しさも、日本のアーティストがアジアに挑戦する壁も感じます。どこに突破口があるのでしょうか?
当面の支出と将来の利益を考えながら、データの収集、分析、仮説立て、アクションのサイクルが大事です。以前韓国が行った戦略の一つですが、ミュージックビデオに大きな投資をしてハイクオリティーなダンスMVを作り、それをYouTubeで無料公開する。ダンスは国境を越えるための有効なツールです。そしてこれをどう収益化するのかというと、アジアの各エリアごとの視聴データやエンゲージメントを徹底的に収集、分析します。その結果、あるエリアに1万人の熱心なファンがいるという仮説が成立すれば、その国、地域にアーティストを送り込んでイベントやライブを開催します。集まったファンがチケットやグッズを買いまくれば、それを見た現地企業とのキャスティング契約やスポンサー収益などで十分元が取れる算段です。
━━「海外で売れている人を日本に持ってくる」とか「日本から乗り込む」という発想自体がもう古いんですね。
そうですね。自分たちの事情ではなくて、とにかく(将来の)ファンのことを想像し続けることです。ファンの方々が実際に生きている文化や風土、日常生活に基づいたアプローチが必要です。例えば、インドネシアへのアプローチを考えるのであれば、インドネシア人の女の子がInstagramに何を載せているかを見るんですね。すると「自分の顔を出している子は意外と多くない」けど「自分の部屋のかわいいグッズやアクセサリーの物撮りをあげてる子が多いな」という傾向に気づくとします。これって「宗教の影響なのかな」とか「単に自分の顔を出すカルチャーがないのかな」とか「まだ若い子は自信がないのかな」とか、そこからいろいろ妄想していきます。
━━アジアのアーティストにも、既に熱心なファンが日本に存在していて、スタッフの対応がファンの期待と合わないと問題になることもあります。
「これ売れそうだからやろうよ」ということで始めると、そのつもりがなくても、何か中間搾取的な方向に片寄ってしまう。今までの音楽業界はそういうやり方でしたよね。でも、スマートフォンが地球の裏側にも普及している今、何か面白いアプローチを考えるのであれば、これまでの音楽業界の常識を捨てて、まずはアーティストとファンの関係をいかに邪魔しないか、そこから考える必要があると思います。
“すでにそこにある関係値に、外から僕がボールを投げるというのは、めちゃくちゃプレッシャーがかかることではあります”
Nozomu Tsuchiya
そのアーティストを好きな人が、一番いい裏方になれると思う
━━土屋さんは今年還暦を迎えられましたが、音楽業界で働く若手プレイヤーにはどんなことを期待していますか?
僕も日々勉強してるので、そんな偉そうなことを言う立場にないんですけど(笑)、僕らのようないわゆる「音楽業界人」はもう要らないんじゃないかなと思うことがあります。アーティストとファンの皆さんがいかに(経済的な面も含めて)幸せであり続けるか、そこに焦点を当てることが何より大事でしょう。アーティストが自らのキャリアをどう考え、どう歩んだら、長く充実した日々を送れるか。それを本人もスタッフも試行錯誤し続けるしかありません。
例えば、オリンピックでメダルを取るのは信じられないくらい素晴らしいことですが、ほとんどの競技者は世界一になってもその種目だけで食べていくことは出来ません。それを覆すにはどうしたらいいのか?ゼロイチというのはそういうことです。
━━サッカーとか野球ではなく、マイナー競技であると。
そうです。ちょっと極端な例えですが、たとえば「やり投げ」でどうやって生計を立てるか、というような発想でアーティストを支援していかないと、新しいカルチャー(ゼロイチ)は生まれないと感じています。今の音楽業界にある既存の道をただ走らせるだけでは、大渋滞に巻き込まれるだけで、何も新しいことは起きません。これからはマインドセットの更新が必要です。
━━そうなったときに、思考のスタート地点としては、何を参考にすると良いのでしょうか。
例えばですが、韓国との仕事を通じて、日本が世界に誇れるのは「ファンの質」だと気づかされました。日本のファンの皆さんは、自らが決めた推しに対して、愛情の証として、全ての商品に正当な対価を払い、全ての機会を全力で応援します。この質の高いファンカルチャーを国外にも広めることが出来たら、世界のエンターテイメントのファンクオリティーは確実にアップデートするでしょう。そんな凄い可能性を秘めた最初のファン1人に、まずどういうアプローチをするのか?そういう着想が大事だと思います。
━━確かに、日本のファンの熱意は際立っていますね。
無料で楽しめるコンテンツが日に日に増えている今の時代でも、健全に対価を払って応援してくれることで収益がアーティストに還元され、さらなる新しいコンテンツを生み出すエコシステムが出来る。僕は近い将来「プロファン」という存在が台頭してくるのではと予測しています。その人たちこそ、まさにアーティストのスタッフとして最適な存在だと思います。僕はビジネスとして期待に応えようと思ってやっていますが、本当に「好き」でやっている人には敵いません。寝る間も惜しんで取り組む真の熱意、本物の愛情には、仕事の領域ではなかなか追いつきません。
━━土屋さんのように、レジェンド級の経験を積まれた方でもそう思うんですね。
僕はファンのお叱りを受けることが怖いです(笑)。韓国の新しい某ガールズグループが日本でデビューするときに、日本のファンが「まさか日本語の歌詞なんてやらないよね?」とSNSに書き込んでるのを見ると、本当にドキドキします(笑)。「やっぱり邪魔かな?」なんて思ってね。すでにそこにある関係値に、外から僕がボールを投げるというのは、めちゃくちゃプレッシャーかかることではあります。「大きなお世話」と言われるリスクは重々承知で、「僕に何ができるか?」ということは毎日自問しています。
━━ありがとうございました。お話をまだまだ聞き足りないので、ぜひ第2回もお願いします!
Interviewer’s Eye
私が音楽的に物心がついたころには(?)K-POPは既に偉大な存在だったので、日本展開においても、何かものすごいソリューションがあったんだろうな……と、どこか他人事のように感じていた。しかし今回お話を伺い、アーティストとファンの双方を考え抜いて泥臭くアクションを続けた土屋さんの思考の深さ、集中力と決断力はビジネスパーソンが成功するために必要な条件で、襟が正されたように思う。
ファンマーケティングが重視される風潮の中で、音楽業界に限らず、時にファンダムが愛ゆえに暴走してしまい起きたアクシデントが頻発している。そんな時代だからこそ、影から支えて、両者のバランスをとってくれる存在が必要だ。時代とアーティスト、ファン、そしてそのほかの諸々の関係性が複雑になるなか、私たちが土屋さんから学べることは、まだまだ多いように思う。