ソウル・弘大のインディシーンを縦横無尽に駆ける
プロモーター/デザイナー/ツアーマネージャー
インディーズ音楽に少し詳しい人なら、「裏方を担う人材はマルチタスクを担う宿命にある」という現実を知っているだろう。ライブ制作、PR、デザイン、チケットの販売、人脈の維持──あらゆるタスクを行き来し、常に忙しい。
私はこれまで、その「マルチタスカー」の何人かと会話をしたことはあるものの、その日常や想いに深く密着したことがなかった。彼らからみればパソコン1台で仕事をする私は“お気軽”に見えるだろうし、その気軽さをどこか後ろめたくも感じていたからだ。だから、少し距離を保って接していた。
そんな私の前に現れたのが、Minchai Lee(ミンチャイ・リー)。ソウルのインディーズ文化の発信地・ホンデ 弘大を拠点に、裏方業務を幅広く担う女性だ。
自らを「私をひとことで表すと……”音楽業界の労働者”なんですよね」と笑顔で話すミンチャイには、3つの顔がある。
ひとつは、人気レコードショップ Gimbab Records(キンパッレコード) のフルタイム・プロモーター。
もうひとつはアーティストサポート。そして、アルバムアートワークやステージの装飾、音楽フェスティバルの各種PRなど、音楽に関わるあらゆるデザインを担うデザイナー。
特筆すべきは、これらの仕事を支える多彩なスキルだ。フルタイムで働くGimbab Recordsでは、レコードショップの運営だけでなく、国内外のアーティストを招聘したイベントも開催している。
Minchaiは、幼少期に培った流暢な英語とポルトガル語で海外との橋渡しを行い、ポスターからマーチャンダイズまで自在にデザイン。ツアーマネージャーやSNS用映像の撮影、会場のサウンドチェックまでこなす。
音楽シーンで働き始めてわずか3年ながら、韓国インディーを代表するアーティストであるイ・ラン、イ・ミンフィ、さらに韓国出身でフジロックにも出演歴のあるミシェル・ザウナー(Japanese Breakfast)といった、著名なアーティストから信頼を寄せられているMinchai。
“マルチタスカー”という言葉だけでは片付けられない、Minchaiの原動力とは何なのか……話を聞いた。
Minchai Lee
ソウル特別市生まれ。3才よりブラジル・サンパウロへ移住。大学は米国ニューヨーク州のSchool of Visual Artsでデザインを専攻。2018年にソウルへ戻り、ファッションテック企業のUX・UIデザイナー等を経て音楽業界へ。弘大のレコードショップ、Gimbab Records(キンパッレコード)でフルタイムプロモーターとして勤務。その傍ら、音楽フェスティバルのデザイナー、アーティストサポートなど幅広く活躍。「音楽業界の労働者」を自称するチャーミングな一面も。
姉から譲り受けた「音楽が詰まった箱」
━━ブラジルで育ったMinchaiさんが、ホンデのインディーズ音楽シーンで働き始めるまでの経緯にとても興味があります。まずは、子どもの頃ってどんな音楽を聴いてました?
ティーンの頃はオルタナやインディーズの音楽がすごく好きでした。好きなバンドはだいたい西洋のもので、特にアメリカのバンドが多かったですね。今でも大好きなのは Yo La Tengo、Radiohead、The Magnetic Fields。それから、Electrelane というバンドもすごく好きでした。70年代のポストパンクもよく聴いていて、高校生の頃にはその辺りに夢中でした。
━━高校生でその趣味とは、すごく「早熟」感があります! オルタナやインディーズにはどのように出会ったんですか?
私には7歳年上の姉がいるのですが、音楽をダウンロードして聴くことが浸透しはじめていた時代に、彼女のパソコンのライブラリに「インディー・アルバム50選」みたいなアルバムを入れていたんです。でも本人は特にインディ・ロックにそこまで興味があったわけじゃなくて。その後、大学に行くときにそのパソコンを私に譲ってくれたんです。
━━気づいたら、大量の音楽がいきなり手元にあった(笑)。
そうなんです。当時はまだストリーミングなんてなかったし、小さなiPodに入れて聴くしかなくて。しかも通学のバスが片道2時間もかかったので、やることもないしネットもない。だからそのパソコンに入っていたアルバムを繰り返し聴いてました。音楽の知識なんてほとんどなかったけど、それでどんどんハマっていったんです。
━━ちなみに、同級生はどんな音楽を聴いてました?
私の学校では、すごくポピュラーな音楽が流行ってましたね。当時のブラジルは、MTVが全盛で、ギャングスタ・ラップやカニエ・ウェスト、リアーナとか、そのあたりが人気でした。あと、韓国人の生徒が多かったので、K-POPもすごく流行っていて。東方神起やBIGBANGとか、みんな夢中でした。
━━ブラジルでK-POPって面白いですね。大学進学後はニューヨークに渡られたそうですが、そこで音楽の趣味に変化はありましたか?
通っていた大学がアート系だったので、同級生もオルタナなものが好きで、ちょっと変わった音楽を聞く人も多かったですね。
1980年代から続くニュージーランドの Flying Nun Records っていうインディーレーベルにハマってました。The Cleanとか The Chillsとか、ちょっとダークでジャングリーなポストパンク。あとは Daniel JohnstonみたいなDIYっぽいローファイ・ミュージックもすごく好きで。
━━かなり渋いラインナップ。
(笑)そう、でも同時に80年代や90年代のイーストコースト・ヒップホップも聴いてましたね。大学に入ってからはニューヨークのDIYシーンにもよく行ってました。ブルックリンだと、Sunflower Bean みたいな若手バンドがちょうど盛り上がってた時期で、Jerry Paper を観たこともあります。会場って言っても、ちゃんとしたライブハウスじゃなくて、人の家とか違法な倉庫とか。入場料は5ドル、ビールは3ドル、みたいな(笑)。
━━めっちゃリアルなDIYシーンですね。
情報は、当時はほとんどネットで探してました。SNSで言うと、私の世代はMyspaceはもうなくって、Facebook以降なんですけど。私はどちらかというとブログをよく読んでました。PitchforkとかBrooklyn Vegan とか。そういうのを通じていろんな音楽に触れてたんです。もちろん、ブラジル音楽も聴いてましたよ。ボサノヴァとかムジカ・ポプラール・ブラジレイラ(MPB)とか。あと、アンビエントとかエレクトロニカも好きで、ミニマル寄りの音楽や Philip Glass にもハマってました。ジャンルにこだわらず、いろんなものを聴いていたと思います。
※ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ(MPB)ブラジルの音楽形式(ジャンル)の1つで、「ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック」の意。
「週末店員」から始まった音楽キャリア
━━大学卒業後、ソウルに戻ってからはすぐ音楽関係の仕事を始めたのでしょうか?
2018年に韓国へ戻ってから4年ほどは、音楽とは無関係の仕事をしていました。スタートアップ企業でのUI/UXデザイナーやデザインスタジオ勤務など、大学で学んだことを活かせる仕事ではありました。ただ、心身ともに疲れてしまって。
━━一度、立ち止まることにされた。
でもずっと無職ってわけにもいかない。そこで週末だけ音楽関係の仕事を始めました。お昼はGimbab Recordsのショップスタッフや、夜はChannel 1969というライブバーのバーテンダー。そこからChannel 1969のイベントやフェスティバルに関わり、ブース運営やデザインを手がけるようになりました。
※ Channel 1969とは:ホンデにある老舗ライブバー。
━━小さな一歩から始めたんですね。
それから、第一回のアジアン・ポップ・フェスティバルのデザインや、イ・ラン、イ・ミンフィ、Japanese Breakfastといったアーティストのプロジェクトにも個人で関わるようになり……、音楽に関わる仕事がどんどん増えていったんです。2024年からはGimbab Recordsでフルタイムのプロモーターとして働いています。
━━「週末店員」から、大出世を遂げている。
ある日、Gimbab Recordsのオーナーのジョンさん(Kim Young Hyeok / キム・ヨンヒョク氏)が、「Minchaiはショップスタッフではなく、プロモーターとして働いてもらう」と言ったんです。それ以来、Gimbab Recordsのデザイン全般、イベントの窓口、海外アーティストとのやり取り、オンラインショップの運営など、裏方業務を幅広く担当するようになりました。
“Minchaiは、明るいエネルギーを放っている人。
音楽を聴く耳がすごく良くて、お客さんに音楽を聴かせるということをわかっている。スキルの幅も広いから、一緒にできることが広がっていく未来が見えるんですよね”
イ・ラン
アイデンティティの壁を、仲間が支えてくれた
━━ここまで成長される過程では、苦労もあったのではないでしょうか。
一番大変だったのは、すべてをゼロから学ばなければならなかったことです。音響や制作の知識もまったくなかったので、とにかく現場で覚えていきました。小さなチームなので、ショー運営からホスピタリティ、プロジェクトマネジメントまで幅広く担う必要があり、学びの連続でした。
さらに私は韓国の学校を出ていないので、ほとんど知り合いがいない状態から始めなければなりませんでした。人間関係も、最初は「こんにちは、一緒に仕事をしていただけませんか?」と一つひとつドアをノックしていくしかなかったんです。
━━大人になるまでほとんど外国で過ごされていましたもんね。
はい、言語や文化の壁も大きな課題でした。育った家庭では韓国語で話していたので会話には問題がないのですが、読み書きは実はまだ苦手なんです。仕事では長文のメールをやりとりする機会もありますが、理解にも時間がかかります。私の仕事の90%は言語やコミュニケーションに関わるソフトスキルです。文化、文脈を知らないと見えない失敗をたくさんしてしまう。今ではだいぶ慣れましたが、対処が一番難しかったです。
━━でも実際にお会いすると、とても明るくて前向きな印象です。
ありがたいことに、理解のある仲間やアーティストに恵まれ、支えてもらっています。現場では音響や設営、楽屋の準備、時にはケータリングのフルーツを切るといった細かい作業もします。一見小さなことでも、アーティストにとってはとても大切なんです。そして、とても才能があるのに謙虚で、ゴミ出しのような小さなことも一緒にやってくれるんです。
忘れられない経験のひとつは、ミシェル・ザウナー(Japanese Breakfast)が1年間韓国に滞在したときに出会い、過ごした時間です。最初は携帯ショップに行くのを手伝ったりしているうちに親しい友人になり、その後、ステージ、アートワークやポスターのデザインなどを一緒に手がけるようになりました。海外で育った韓国人としての課題を、ミシェルはとても理解してくれていて、本当に心強かったです。
━━最初の悩みだった「文脈を共有できていない」という壁が、今では強みになっている。
また、韓国でブラジルのアーティストを招聘し、ライブを制作する仕事も、私にとっては大きな意味を持ちました。ブラジルで韓国人として育った私は常に少数派で、韓国に住むようになってからは孤独を感じることもありました。でも、ブラジル音楽に関わることで、自分のアイデンティティとつながる感覚を取り戻すことができたんです。
韓国でブラジル音楽を手がけることは、ただの仕事ではありません。少数派として育った自分の記憶と、今この国で生きる感覚をつなぎ直してくれる――そんな大切な体験なんです。
ホンデのシーンの特徴
━━これまでさまざまな経験を重ねて見えてきた部分があるかと思います。ホンデのインディーズシーンの特徴を教えていただけますか?
私はまだこの業界に入って3年目なので、かなり個人的な視点にはなりますが……。まず、人口900万人の都市ソウルにしては、インディーズシーンは本当に小さいと思います。一つの地域、ホンデに集中していて、仲間内で閉じてしまう傾向もありますね。
━━確かに、特定の地域にまとまっているのはユニークですね。
それから韓国では、インディーミュージックのライブに足を運ぶ人の中心層は20〜30代の女性なんです。ここには社会的な背景もあって。MU:CONのようなイベントはあるものの、政府からの支援は少なく、シーンを支えるオーディエンスの母数も大きくはない。だから音楽だけで生計を立てるのはかなり難しいんです。これは世界共通の課題かもしれませんが、とりわけ韓国では顕著だと感じます。
━━日本や他のアジアの国にも共通する部分ですが、そもそもライブに来る年齢層が大きく片寄っているのは大きな発見です。
韓国では、インディーズアーティストのライブのチケット相場は3万〜4万ウォン(日本円で約3300〜4400円)。10代の若い子が気軽に行ける金額ではないんです。会場使用料が高いので、結局その負担をチケット代に転嫁するしかない。
ただ、私が働くGimbab Recordsには10代からお年寄りまで、老若男女問わず多くの方が訪れて、レコードやCDといったフィジカル音源を買っていきます。小遣いを貯めて、ファングッズとしてレコードを買う文化はあるんです。でも「インディーズのライブに足を運ぶ」という習慣は根づいていないんですね。
━━音楽との関わり方が違うんですね。
はい。韓国では音楽は“芸術”というより“娯楽”として楽しまれる傾向が強いと思います。その分、文化のあり方も欧米や日本を含めた他のアジア諸国とはかなり違うように感じます。
━━なるほど。ちなみに、演奏する側=ミュージシャンにはどんな特徴がありますか?
2010年以降の韓国インディーシーンでは、多くのミュージシャンが音楽学校に通っているんです。バークリー音楽大学など海外の名門校を出た人も多い。だから技術や知識の水準はとても高いんですが、その反面、どこか“既視感”のある音楽になりがちでもあります。教授たちが研究してきたテクニックや影響を、皆が同じように学んでいるから。結果として似通った音楽が多く、DIY的なスピリットや多様性に欠ける部分もあるかもしれません。イ・ランのようにDIYで長年やってきたアーティストは本当に珍しいんですね。
━━NYのシーンを見てきたMinchaiさんならではの視点ですよね。
“でも、特に大きな野心はないんですよ(笑)”
Minchai Lee
“好きな人と楽しく、持続的に働く”という未来
━━Minchaiさんは、今後も色々な方に頼られると思います。どんな方と一緒に仕事をしたいですか?
気楽で冷静な人、そしてシンプルに「嫌な奴じゃない」人ですね(笑)。結局、人と仕事をするときは、みんな違う状況や背景を持っていることを忘れちゃいけないと思います。私はもともとエリート主義っぽいタイプが好きじゃないんです。だからこそ、理解し合えて、共感できて、柔軟で、私がやっていることと似たような価値観を共有できる人と一緒に仕事をしたい。
安っぽく聞こえるかもしれないけれど……私は本当に音楽が好きで、友達と一緒に楽しむのが好きなんです。好きな人たちと仕事をして、楽しい時間を過ごすことがいつも目標。韓国のシーンは小さいからこそ、ここに来る人みんなが歓迎されるように、ドアは開けておくべきだと思います。多様性はとても大事だし、それに惹かれてこの仕事をしているところもあります。
裏方の仕事って、誰もやりたがらないようなことも多い。会場でのゴミ拾いとか、ちょっとしたメールの送信とか。でも、それも絶対に必要な仕事で、誰かがやらなきゃいけない。そういう仕事を担っている人たちは、みんな真剣に、誠実に、そして楽しみながら取り組んでいます。
━━今後の目標を教えてください。
正直に言うと……私の究極の夢は「音楽の仕事をしないこと」なんです。ちょっと珍しいかもしれませんね(笑)。振り返ると「家賃を稼がなきゃいけないから、無職はまずい」みたいなところからスタートして、音楽が好きだったから自然とこの道に入ったんですけど、理想は持続可能な形で好きな人たちと働きながら、面白いプロジェクトに関わること。
プロモーターとして一番楽しんでいるのは、新しくて多様な音楽を人々に紹介できることです。それは自分にとって大切な体験をシェアすることでもあるから、すごく大きな喜びなんです。だから、それはこれからも続けたい。でも同時に、将来的には自分だけのクリエイティブなプロジェクトに集中したい気持ちもあります。そのためにはお金も経験も必要だから、今はその未来に向けて準備している段階です。
でも、特に大きな野心はないんですよ(笑)。
━━ありがとうございました。
Interviewer’s Eye:新しい文脈を編み上げる人とは?
韓国コンテンツ振興院(KOCCA)が主催する韓国インディーズ音楽の見本市「MU:CON」。その会期中、イ・ランのサポートで多忙を極める合間を縫って、Minchaiさんに時間をいただきました。最初は会場内のカフェでインタビューし、その後は実際にアーティストサポートに奔走する姿を現場で見学することができたのです。
印象的だったのは、インタビューで語られた言葉と、現場での彼女の立ち振る舞いが“完全一致”していたこと。言葉と行動がブレることなく重なり合っていたのが心に残りました。
海外で生まれ育った彼女が、悩みながらも奔走し、韓国のシーンに根を張り、新しい文脈を編み上げていく――その動きはすでに、そして確かに始まっています。
【次回予告】ホンデが“居場所”ではなくなった今も ── イ・ランが語る、アートと生の居場所
今回、Minchaiさんのインタビューで、ホンデのシーンの概要や特徴の一部が見えてきました。では、なぜホンデのシーンは小さいのか。お客さんに20~30代の女性が多いのはなぜなのか?K-POP文化とインディーズ精神のはざまで、アーティストはどう生きるのか……そうした疑問に応えるインタビューを次回掲載します。お楽しみに!
