音楽を続けにくい街、香港。それでもこの地にとどまる理由
――Sum Lok-kei(沈諾基)
「彼、香港のインディーズシーンで
かなりリスペクトされてるらしいっすよ」
2026年4月12日、都市型フェス<SYNCHRONICITY’26>。
その会場のひとつである、渋谷O-nestで香港のオルタナティブロックバンド・Wellsaidを観ていたとき、日本のある音楽関係者からそう耳打ちされた。
私たちの視線の先には、これから話を訊く、Wellsaidのフロントマン、サム・ロッキー(Sum Lok-kei)がいた。
Photo by 稲垣ルリコ
正直に言えば、それまで私にとって香港の音楽は、まだ“点”のままだった。
いわゆる『香港ノワール』のようなジャンルの映画作品や広東語ポップスを通じて文化に触れてきた一方で、「いま、その街でどんな人たちが、どう音楽を続けているのか」までは掴めていなかった。
家賃高騰、小さな音楽市場、アーティストの海外流出——。
そうした困難は耳にしていても、その環境の中でなお表現を続ける人々の姿は、どこか遠かった。
その距離を、一気に引き寄せたのがロッキーだった。
彼はWellsaidのフロントマンであり、香港の音楽コレクティブ/レーベル「UN.TOMORROW」(読み:アン・トゥモロー)の共同創設者でもある。
「UN.TOMORROW」の活動は作品のリリースにとどまらず、ライブ制作、海外アーティストとのコラボレーション、コミュニティ形成まで担う。
「バンドマン」を超えた活動を広げる彼の言葉を辿るうちに見えてきたのは、香港で音楽を続けることの厳しさだけではない。厳しい環境の中で、どうすれば続けられるのか。その方法論そのものだった。
これは、一人のミュージシャンの物語であると同時に、「続かないこと」が前提になりがちな環境下で、なお表現を続けるためのひとつの実践のかたちである。
サム・ロッキー(Sum Lok-kei / 沈諾基)
1993年生まれ、香港出身。Rockyの名でも知られる。香港を拠点に活動するオルタナティブロックバンド・Wellsaidのフロントマンであり、音楽コレクティブ兼レーベルUN.TOMORROWの共同創設者。香港の大手メディアでの執筆経験を持つバイリンガルのジャーナリストでもある。近年は、香港のインディーズ音楽シーンを記録・言語化する記事制作にも力を注いでいる。
「小さな穴の向こう」にあった、アジアのスタイリッシュなロック
━━2025年に収録された菅原慎一さんと竹内将子さんによるPodcast「好玩電台」(ハオワンデンタイ)では、イギリス留学時代に台湾の伝説的インディー・ロックバンド、透明雑誌と出会ったことが、音楽活動を本格化するきっかけになったと話されていました。それ以前、まずは子どもの頃の音楽体験から教えてください。
子どもの頃は、父の影響で香港や台湾のポップスをよく聴いていました。父は台湾の大学に通っていたこともあって、家庭ではワーキン・チョウ(周華健)やDick and Cowboyといった台湾ポップスや、イーソン・チャン(陳奕迅)のような広東語ポップスが自然と流れていたんです。
小学生になるとMP3プレイヤーを手にして、インターネットで音楽を探して聴くようになりました。学校にこっそり持ち込んで、友達とLMF(大懶堂)のような、かなり“悪い”香港の音楽を聴いていたのを覚えています。
━━そこから、オルタナティブ・ロックへはどのようにつながっていったのでしょうか?
中学生のとき、イギリスへの修学旅行でゴリラズのCDを買って、帰りの飛行機で聴いた瞬間に完全に夢中になりました。そこから欧米の音楽を掘り下げるようになって、当時週末によく遊びに来ていた従兄弟が聴かせてくれたアークティック・モンキーズやフランツ・フェルディナンド、トラヴィスにも大きな影響を受けました。
――イギリスへの修学旅行というのも、香港らしいエピソードですね。
同じ時期に香港で海賊版のDVDを売っている男ーーもちろん違法ですが(笑)ーーと仲良くなり、ダイナソーJr.やペイヴメントのようなギター中心の音楽、さらにポストロックやアンビエント、ジャズ・フュージョンまで、一気に聴く幅が広がっていきました。
そして、イギリスの高校へ留学する前にエレキギターを手にしたことで、音楽との距離が一気に変わりました。それまで半ば強制的に学んでいたトランペット・サックスといった管楽器(※)は自分には合っていませんでしたが、ギターは一人で曲を通して弾けること自体が新鮮でした。
━━時間をかけて、自分なりの“好き”に出会い、掘り下げていったんですね。
そうですね。ただ、その後留学したイギリスの寄宿学校はとても静かな環境で、ライブハウスに通えるような場所ではありませんでした。だからこそ、代わりに大きな存在になったのが、台湾のライター、パルプ・チェン(陳德政)が運営していたブログ「音速青春」でした。彼はその頃アメリカに住んでいて、ライブレポート、最新アルバムの音楽レヴューなんかをよく書いていたんです。
静かな生活の中で、そのブログを読み、音楽シーンの熱量に触れるのは、まるで小さな穴から外の世界を覗くような感覚でした。自分がまだ触れられていないけれど、自分が求めているものがそこにある気がしたんです。
━━そして、「透明雑誌」にたどり着く。
本当に衝撃的でした。これまでずっと欧米の音楽を聴いていたけれど、アジア人がここまでクリエイティブで、スタイリッシュなインディーロックを鳴らせるんだ、と。
さらに、透明雑誌のフロントマン、ホン・シェンハオ(洪申豪)のブログを通じてDIYという考え方にも触れて。あの時期が、自分で音楽を作り、バンドを始めるための決定的な原動力になったと思います。
“「自分でやる」だけじゃなく、「一緒にやる」ことで可能性が広がるんだと実感したんです”
ロッキー
初中国ツアーの道中
DIYの限界と、DITの出発点
━━ロッキーさんは、大学進学を機にバンド活動を始められたんですよね。
そうですね。高校時代、イギリス留学中に自分の曲を書き始めた頃から、「バンドをやりたい」という気持ちはありました。ただ、当時いた田舎の寄宿学校では、実際に仲間を見つけて動き出すのは簡単じゃなかった。両親の経済的負担も考えて、大学進学を機に香港へ戻ることにしたんです。
━━つまり、透明雑誌やDIYの思想に影響を受けたうえで、香港で実践に移していった。
そうですね。これまで3つのバンドを経験してきましたが、基本的にはずっとインディペンデント、DIYで活動してきました。
最初のバンドは完全に失敗でした(笑)。メンバーはしょっちゅう酔っ払っていたし、良い作品も作れなかった。でも、その時に築いた人間関係は、今振り返るとすごく大きかったですね。
2つ目の「Emptybottles.」では、来港する海外バンドの前座を務めたり、2枚のEPを制作したり、日本ではFabtoneからリリースもできたりして、“活動が形になる”感覚がありました。
━━その活動が、DIT(Do It Together)になったのはいつ頃からでしょうか?
最初は、みんながDIYで活動をしながら、それぞれ自分のことで精一杯だったと思います。僕自身もそうでした。大きな転機となったのは、Empty Bottoles.で活動していた時に、ホン・シェンハオが台湾でのライブの手配を手伝ってくれたことです。そのおかげで香港の外に出ることができたし、中国では透明雑誌とのツアーも実現して、初めて本格的な海外ツアーを経験しました。
広州のライブハウスにて
Photo by Vic Shing
━━それが、DIYからDITへの転換点だった。
そうですね。大学時代には「Sweaty & Cramped」という名義で、キャンパスやライブハウス・Hidden Agenda(※)でイベントも企画し始めました。観客を巻き込むために、ステージのないライブをやることもあった。長く続いたシリーズではなかったけれど、自分たちで場を作りながら、人と人をつなげるという意味では、DIY・DITの原型だったと思います。
※Hidden Agenda:香港で2009年に創業・2017年まで存在した、伝説的なライブハウス。
そして、VOOID(ホン・シェンハオが透明雑誌が活動休止した後に結成したバンド)が香港に来たときは僕たちがサポートする。韓国ではパク・ダハムが助けてくれる。そうやって場所を越えて支え合う中で、「自分でやる」だけじゃなく、「一緒にやる」ことで可能性そのものが広がるんだと実感したんです。
※パク・ダハム:韓国ソウルを拠点に音楽に関連した活動を行うオーガナイザー。 2012年から音楽レーベル Helicopter Records を運営。
━━ここでパク・ダハムさんにつながるんですね! ロッキーさんにとって、DIYではなくDITを選択する一番の理由はなんでしょうか?
「自分ひとりでは限界がある」と気づいたからです。
DIYはもちろん大事です。自分で始めること、自分で動くこと、その精神がなければ何も始まらない。でも、自分の時間も、リソースも、体力も限られている。その全部をひとりで回そうとすると、どうしても続かなくなる。特に香港みたいな小さなシーンでは、その限界が来るのがすごく早いし、燃え尽きてしまう人も多い。
だからこそ、「どう続けるか」を考えたときに、ひとりで抱え込むやり方では難しいと思いました。
その点、仲間と一緒にやれば、もっと多くのことができるし、協力しながら困りごとが解決できるし、単純にもっと楽しい。
香港の中ではもちろん、自分たちが海外で助けてもらったなら、今度は香港に来る海外のバンドを自分たちが支える。そうやって、お互いの場所で支え合えば、ひとつのバンドだけじゃなく、シーンそのものが国内にも、海外でも続いていくんです。
━━DIYが個人の意志だとすれば、DITはシーンを持続させるための構造そのものなんですね。
香港インディーシーンの拠点となる主なライブ会場:過去と現在
香港インディーシーンを語る上で不可欠な最重要ライブハウスのひとつ、MOM Livehouse(北角)でのWellsaid ライブパフォーマンス
ビルの一部フロアがライブパフォーマンスの場となる。
Photo by Moo Laai
多くのアーティストや音楽ファンに惜しまれつつ2024年に閉館。
Photo by Sum Lok-kei
名称は非公開。
Photo by Sum Lok-kei
「続かない」ことが前提のシーンで、どう続けていくか?
━━ここからは、香港の音楽シーンについてお伺いします。端的な聞き方とはなりますが、香港のインディーズミュージシャンが今、直面している最も大きな課題はなんでしょうか?
「始めること」よりも「長く続けること」が圧倒的に難しい、ということです。
香港では、高校や大学でバンドを始めること自体はできます。学生時代であれば一定の活動もできる。でも、卒業して社会に出た瞬間、現実が一気に重くなる。たとえば、給料の3割から5割(※)が家賃に消えるような生活の中で、日々を成立させるだけで精一杯になるんです。
そうなると、音楽を続けるための時間も、お金も、精神的な余白も失われていく。だから、多くの場合、バンドをはじめて5年くらい経つと続けること自体が難しくなってしまう。日本や台湾と比べると、インディーズミュージシャンのライフサイクルが短いと思います。
※編集注:香港の家賃は世界最高レベルで、単身向け(約30㎡〜)でも月額約1.5万〜3万HKD(日本円で約30万〜60万円以上)が相場です。
香港で音楽に真剣に取り組んでいるバンドは、騒音の苦情が出にくい工業ビルの中に、自分たちの練習スペース(=Practice Room)を作ることがよくある。
「香港では車を運転する人が少ないので、職場に機材を持って行って、その後車で練習に向かう、というのは現実的ではないからです。Wellsaidの場合は、制作費を抑えるために、その練習スペースでレコーディングもしています。」(ロッキー)
━━香港では、政治的にもさまざまな変化がありました。こういった影響はないのでしょうか?
もちろん、香港の政治的変化が全く無関係だとは言いません。著名なポップアーティストや俳優は、より慎重にならざるをえない場面もあると思います。
ただ、少なくともインディーズの現場においては、現状の問題は「そもそも音楽活動が続けにくい生活構造」にある。家賃、市場規模、労働環境——そうした現実的な条件の方が、より大きいんです。
━━近年、香港出身のインディーズアーティストが海外へ移住するケースをよく見ます。それは、やはりそうした構造的な問題が背景にあるのでしょうか?
そう思います。本気で音楽を続けたい人は、基本的に「やめる」のではなく、「どう続けるか」を考えます。そして、その方法が大きく二つある。香港に残るか、より生活に余白のある場所へ移るか。
香港の音楽市場は小さいし、広東語で歌うことには強いローカルな意味がある一方で、届く範囲も限られている。ライブ会場も多くはない。だから、本気で続けようとする人ほど、常に香港の外にも可能性を探しています。
私は香港の人々は「自由であること」を重視する傾向があると思います。特にCOVID-19以降、人の移動や自由について改めて考える中で、「もっと自由に、もっと持続可能に音楽をやるなら、海外の方がいいのではないか」と考える人が増えたのは自然なことだと思います。
“香港が自分のホームで、香港の人びとやコミュニティを本気で愛しているからです。”
ロッキー
━━英語教育を受けていれば、なおさら、海外移住が現実的な選択肢になる。そうした現実がある中で、ロッキーさん自身が香港に残り続ける理由は何ですか?
香港が自分のホームで、香港の人びとやコミュニティを本気で愛しているからです。
この地で、音楽活動をどれくらい続けられるかはわからない。でも、自分が音楽を始めた理由も、影響を受けてきたものも、全部ここにある。香港の人たち、この街、このシーンが、自分を作ってきた。
だからこそ、ここで続けること自体が、自分にとっての敬意の示し方なんです。
「外の方が自由だ」と考えるのは簡単です。でも、もし自分が外に出て同じ活動をしても、それは自分を育ててくれた場所への恩返しにはならない。
自分にとって意味があるのは、香港で働き続けて、地元のシーンを支え、海外から来る人たちも助けることです。たとえば昨年、日本のdownyが香港でライブをした時も、主催は友人で、自分も裏方としてサポートしました。そういうふうに、自分がこの場所で関わり続けること自体に意味がある。
━━「香港に残る」という選択そのものが、ロッキーさんにとっては、単なる居住地であるからという以上に、シーンへの実践的なコミットメントなんですね。
“闇の中で進む君に手を振る
離れ離れになる僕たちが新たな始まりに祝杯をあげる”
Wellsaid 「HOME」歌詞抜粋(日本語訳:Kirin from Texas3000)
「UN.TOMORROW」が示す、“香港で音楽を続けることは可能だ”という実践
──UN.TOMORROWは音楽レーベルであると同時にコレクティブでもあります。まさに、香港のシーンを支えながら、海外とのDITを実装するためのコミュニティなんですね。
そうですね。僕たちは、いわゆる伝統的な意味での「レーベル」ではないと思っています。
アーティストを囲い込むような専属契約があるわけではなく、もっと自由な形です。作品のリリース、デジタル配信、PR、ライブ制作、海外アーティストのサポートまで、その時々で必要なことを一緒にやる。形を決めるというより、「続けるために必要なこと」を柔軟に共有している感覚ですね。
━━これまでのリリース作品のラインナップを見ると、Wellsaidのような音楽だけではないというか、音楽ジャンルも幅広いですよね。
はい。僕たちには「新しい音楽を前に進めたい」という思いがあるからです。一般的にレーベルというと、似た音楽性のアーティストが集まるイメージもあると思いますが、UN.TOMORROWはジャンルよりも「良い音楽かどうか」を重視しています。たとえば、UN.TOMORROWに所属するアーティストで、Spotifyの「RADAR Hong Kong 2026」の10組に選出されたinablankatは、エレクトロニックやドリームポップを軸にしたアーティストです。
━━若手のサポートにも積極的に取り組んでいるんですね。
香港では、多くの若手バンドにとって、「海外から来た著名なバンドの前座を務めること」が、活動のピークになってしまうことが多いんです。もちろん、それ自体は素晴らしい経験です。でも、本当はその先があるはずでしょう?
僕たちは、その構造自体を変えていきたい。前座で終わるのではなく、自分たち自身がシーンを作り、外とつながり、次の機会を生み出す側になれるように。
Photo by Gideon de Kock
━━単なるリリース機能ではなく、シーンを維持するためのインフラに近い。
そうかもしれません。2024年に、UN.TOMORROWのレーベルローンチを記念し、香港の芸術系中高一貫校「香港兆基創意書院」の劇場を借りたライブを企画しました。そこでは、香港のインディーズシーンを象徴する10組のアーティストを招きArches、The Crushら10組のアーティストを招き、2日間にわたるイベントを開催したんです。PAや照明の方はコミュニティの外から招いたのですが、そうした技術スタッフの方にも「とても良いライブだった」と言ってもらえたのは嬉しかったですね。その時、インプロヴィゼーション・バンドの一員として参加してくれたサウンドデザイナーのBrian Chuが、今日のSYNCHRONICITYでも裏方としてサポートに来ているんです。
そして2025年12月には、音楽フェスティバル<Clockenflap>の前夜祭として「UN.EARTH」というイベントも開催しました。そこでは日本からNew Action!やHALLEYも招いて、香港の外と中をつなぐ場を作りました。そうやって、関係が一度きりで終わらず、次へつながっていくこと自体が大事なんです。
Photo by Vic Shing
━━DIY/DITが、バンド単位の活動から、UN.TOMORROWという共同体そのものへ拡張されている。
そうですね。バンドだけではできないことでも、コミュニティとしてなら実現できることがある。
香港のインディーには、ある種の現実的な柔軟さがあると思うんです。環境は厳しい。でも、その中で「じゃあ、どうすれば実現できるか」をみんな考えている。
完璧な条件なんてなくても、とりあえずやってみる。困ったことが起きても、たぶん何とかなると思える。そして友達同士だからこそ、「大丈夫だ、何とかなるよ」とお互いに励ましながら、一緒に走り続けることができる。その感覚は、香港のシーンにとってすごく大事だと思います。
MOM Livehouseで開催した台湾のSuper Napkin香港公演では、共演バンドTYNT(香港)との対談も。
Photo by Moo Laai
━━DIY/DITが、バンド単位の活動から、UN.TOMORROWという共同体そのものへ拡張されている。
そうですね。バンドだけではできないことでも、コミュニティとしてなら実現できることがある。
香港のインディーには、ある種の現実的な柔軟さがあると思うんです。環境は厳しい。でも、その中で「じゃあ、どうすれば実現できるか」をみんな考えている。
完璧な条件なんてなくても、とりあえずやってみる。困ったことが起きても、たぶん何とかなると思える。そして友達同士だからこそ、「大丈夫だ、何とかなるよ」とお互いに励ましながら、一緒に走り続けることができる。その感覚は、香港のシーンにとってすごく大事だと思います。
━━UN.TOMORROWの活動は「香港で表現を続けること自体」のモデルケースにも見えます。今後、最も実現したいことは何でしょうか?
「香港で、自分らしく表現を続けることは可能だ」と示し続けることです。
誰もがレディオヘッドやコールドプレイになれるわけじゃない。でも、巨大な成功だけが音楽の価値ではないと思うんです。たとえ世界的なスターにならなくても、自己表現を続けながら、誰かの地元にとって大切なバンドになることはできる。
その可能性を示したい。かつて香港の先輩たちがそう思わせてくれたように。
昼間にどんな仕事をしていてもいい。医者でも、会社員でも、何でもいい。でも、自分の人生を生きながら、自分を表現することはできる。そのこと自体が、とても重要だと思います。
だからUN.TOMORROWとして目指しているのは、香港で良い作品を作り、香港の外にもリスナーを見つけることが可能だと示すことです。
そして、それは音楽だけに限りません。サウンドアーティストでも、ビジュアルアーティストでも、画家でもいい。表現したいと思う人が、それぞれの方法で挑戦できる環境を作りたい。
「ロッキーができるなら、自分にもできるかもしれない」
そう思ってもらえたら、それが一番嬉しいですね。
━━ありがとうございました。香港の現場で、その“続けるための実践”がどのように息づいているのか、次はぜひこの目で見てみたいです。
Interviewer’s Eye:「ロッキーができるなら、自分にもできるかもしれない」
ロッキーさんの話を聞いて、私の中で最も強く残ったのは、香港という都市が抱える困難そのものよりも、DIT(Do It Together)が生み出す可能性だった。
正直に言えば、私はこれまで「友達と何かをすること」が、良い結果につながるイメージをあまり持てずにいた。もちろん、”誰にでも感じが良い”ことは意識していたが、なるべく距離を取り、予防線を張っていた。それが、自分と周りを守る方法だと思っていた。
だからこそ私は、ある意味では“野良”のまま、一人でも成立しやすいライターという仕事を選んできたのかもしれない。
本当は、活動を続ける中で、信頼できる人たちに出会えていたのに、どこかで「友達」と呼ぶことすらためらっていた自分がいた。
だけどロッキーさんの話を聞いて、誰かを信じること、連帯すること、そして一緒に価値を生み出していくこと——その先にこそ、自己実現の別のかたちがあるのかもしれないと思えた。
困難な状況にあるからこそ、ひとりで自分を守ることだけじゃなく、誰かとつながることで、もっと自分らしくなれる可能性がある。
「ロッキーができるなら、自分にもできるかもしれない」
そんなふうに、音楽の外にいる私にまで思わせてくれたことに、心からありがとうと言いたい。
