タイインディーズシーンの
入口へ
2019年に、STAMP、プム・ヴィプリット、TELEx TELEXsがサマーソニックへ来日した現場を目撃して以来、タイの音楽シーンがなんとなく気になる状況が数年続いていた。しかし、タイの音楽情報は基本的にタイ語で発信されているので、自分なりの理解をするのがむずかしいのではないか…と、タイ音楽シーンの入口でウロウロしているような状況が数年続いた。
そうした中、あるタイ音楽有識者から「インディーズアーティストに強いパイプを持つレコードショップで、お店のマネジメントをしている女性がいるよ」と紹介されたのは、首都バンコクで45年もの歴史があるレコードショップ「Nong Taprachan(読み:ノン・タープラチャン)」で活躍するNutchanyaさん(以下「Nutty」)。
「Nong Taprachan」は、バンコク随一の繁華街で、外国人が多く集まるカオサン通りから徒歩20分ほど、タイで二番目に古い名門国立大学であるタマサート大学の南側に位置するTaprachan(タープラチャン)地区の川沿い、船着き場に位置している。
店長のNokさんとその兄弟が1979年にオープンして以来長年経営を続け、現在はタイのインディーズ作品を中心に、インポート作品ーー取材当日は杏里『COOL』、山下達郎『FOR YOU』などシティポップや、グリーン・デイ『SAVOIR』、アヴリル・ラヴィーン『グレイテスト・ヒッツ』などの洋楽作品が目についたーーも取り揃えている。お店では月に3~4回ものペースで積極的にインディーズアーティストのインストア・ライブセッションを開催し、インディーズ音楽文化の発信地となっている。
その中でNuttyさんは、共同経営者として、約20年もの間、仕入れ・接客などさまざまな業務を行っているという。
お店のFacebookでは、日々あらゆる情報が発信されている。インストア・ライブセッションの様子を記録した動画、お買い物をしたお客さんの笑顔、お店の近所の風景…。訪問前に投稿を眺めて「Nong Taprachanならきっと、タイ音楽シーンへのドアを開いてくれるだろう」という期待を胸に、人生初バンコクの旅で初めて会う音楽関係者として、Nuttyさんに会いに行った。
Nutchanya(Nutty)
1964年バンコク生まれ。父親の影響で50~60年代のジャズやオールディーズを聴いて育つ。高校卒業後、ドイツ・マインツにある言語特派員・経済翻訳者養成学校「ユーオ・シュプラシューレン」に入学。卒業後、バンコクの「マンダリン・オリエンタル・バンコク」(当時は「ザ・オリエンタル・バンコク」)で働き、ドイツの繊維・衣料品商社でシニア・マネージャーとして従事。スイスのチューリッヒでタイ料理レストランのオーナーを務め、2005年よりNong Taprachanの共同経営者となる。
西洋の音楽に触れた幼少期
“「一番若いお客さんは9歳から10歳くらいです。彼らは親に頼んで、私たちの店に遊びに来ます。中には初めてレコードを集め始める子や、初めてレコードプレーヤーを買う子もいますよ」”
Nutty
━━今回お話を聞きたいと思ったのは、Nuttyさんが20年もの間、Nong Taprachanで、つまり音楽業界で働かれていることに興味を持ったからなんです。音楽業界に入る前、学生時代のことから伺えますか。
私はNong Taprachanで働く以前までは、ただの熱心な音楽リスナーだったんです。タイ王国陸軍の高官だった父はレコード・コレクターでもありました。父の職場の近くにはレコードショップが数店あり、それらのお店でたくさんのレコードを買って帰ってきてくれたんです。私も父の影響を受けて、ナット・キング・コール、ルイ・アームストロング、ビートルズ、パティ・ペイジ、クリフ・リチャードなど、1950年代から60年代のジャズやオールディーズを日常的に聴いて育ちました。
もともと言語に興味があり、1981年にドイツで言語特派員・経済翻訳者を養成する「ユーオ・シュプラシューレン」へ留学することを選び、言語学や翻訳・通訳を専攻しました。ドイツにいた頃は、テレビでロックバンドのコンサート映像をよく放送していたので、学校が終わってよく見ていました。ライブハウスにもよく行きましたよ。
━━日本では「1960~70年代のタイの音楽シーンは、タイの大衆歌謡のルークトゥン、伝統音楽のモーラムなど土着の音楽と、西洋から入ってきた音楽がメインストリームだった」という整理をされることが多いです。1960年代生まれのNuttyさんから見て、いかがですか。
私の認識では、ルークトゥンやモーラムは日常にある商業文化のためのものです。たとえば移動中にタイ土着の音楽をラジオで聞いたり、街中やお祭りでモーラムのショーをを見て、賑やかな日常を楽しんでいます。もちろんそれも一つの文化ですが、そうした環境下であくまで音楽はサブコンテンツで、無料で聴いたり、見たりするものです。フィジカル音源が爆発的に売れるわけではないですよね。タイにおける本格的な音楽シーンというものは、CDショップや書店の需要がある西洋の文化が輸入されたことで、形成されていったと思います。
異業界で鍛え抜かれたホスピタリティ
━━音楽業界に入るまでのキャリアを教えていただけますか。
ユーオ・シュプラシューレン卒業後はドイツからバンコクに戻り、「マンダリン・オリエンタル・バンコク」(当時は「ザ・オリエンタル・バンコク」)に就職し、その後は伝統的なタイ織物をヨーロッパへ輸出する繊維・衣料品商社で輸出入ビジネスの経験を積んだあと、家族でスイスへ移住しました。商社から引退したのは、輸出入ビジネスに時間をかけすぎてしまい、子どもたちと過ごす時間が十分ではなかったからです。
スイスではタイ料理店の経営をしましたが、その後またバンコクに戻るタイミングで、家族ぐるみで仲良くしていたNong Taprachan店長のNokから声をかけられたんです。
━━異業界で働いていたNuttyさんに白羽の矢が立った。
当時は2005年、My Spaceが徐々に普及してきた時代で、フィジカル音源の人気にやや陰りが見えていたんです。お店を盛り上げるための新しい視点が求められていたんですね。
━━私も別業界でキャリアを形成したからこそ思うのですが、20年以上働いた後、音楽業界へ飛び込むのは勇気が要りそうです。
接客業での経験と、貿易の経験はお店の運営にとても役に立ちましたよ!たとえば「マンダリン・オリエンタル・バンコク」では、ホスピタリティについて多くを学びました。同ホテルは、タイ風のきめ細やかなサービスが世界的に高い評価を受けていますが、当時はコンピューターも何もなかったので、ゲストの名前など基礎的な情報を頭に叩き込んで、常連客に挨拶したり、どの部屋に滞在しているかを記憶するといった、細かいようで顧客にとって重要な情報を記憶することを求められました。ホテルマンとしての地力をつけることはある種訓練で、「マンダリン・オリエンタル・バンコク」で必要とされるホスピタリティを体現するために、脳のある部分が相当鍛えられたと思います。
このスキルは、商社で働くときも役に立ちました。ドイツ最大の繊維・衣料品商社だったので、マネージングディレクターや会社の経営者とのコミュニケーションの取り方などは、ホテル業界で相当鍛えられたことが役に立ったかもしれないですね。加えて、輸出入ビジネスでは、商品を扱うための管理について学びました。
━━転職のお手本のようなキャリアの積み上げ方ですね。そしてその経験が、レコードショップの運営に役に立っている。
Nong Taprachanはレコードショップというだけでなく、音楽コミュニティを作ろうとしているんです。音楽コミュニティでは、音楽シーン全体を盛り上げるために、一人ひとり違うアーティストの音楽性を理解し、サポートとしなければなりません。そして何より、まだ知られていないタイのインディーズバンドのCDやレコードがたくさんあり、それらをお客さんに的確におすすめする必要があります。そのためには、目の前にいるお客さんがどんな音楽が好きかを尋ねるようにしています。探しているタイトルがあればそれを聞いたり、彼らが好む音楽ジャンルやアーティストについて質問したり、そういった何げないコミュニケーションから得られるヒントをもとに、店内にある膨大な商品群の中からベストなものを提案していく力が必要になるのです。
“Nuttyが参画してから海外の音楽作品も扱えるようになり、品ぞろえの幅が広がりました”
Nok(Nong Taprachan店長)
Nong Taprachanはバンコクの音楽コミュニティ
━━先ほどの質問と重なる部分がありますが、改めて。Nong Taprachanはバンコクの音楽シーンでどのような役割を果たしていますか?
繰り返しになってしまいますが、「音楽コミュニティ」でありたいということですね。商品の売り上げが重要なのは当然ですが、音楽が好きな誰もが訪れて、出会って、楽しんで、話すことができるコミュニティスペースを提供すること。そして、タイで活動する多くのインディーズバンドをサポートし、その輪を広げていきたいのです。今では何度も来日公演を行っているプム・ヴィプリット、H3FやFORD TRIOも私たちのお店でインストア・ライブセッションを開いたことがあります。
━━ミュージシャンの絶対数の少なさや、大家さん・地域住民との関係の維持の課題を背景に、バンコクではライブハウスを安定的に経営することが難しいと聞いたことがあります。そんな中、安定して発信する場を提供することができるということですね。アーティスト側の目線だけで長く続けていくことは難しい側面もあると思うのですが、品揃えで意識していることはありますか。
私たちがおすすめしたい音楽と、お客さんが望むものを両方仕入れるということでしょうか。個人の連絡先を交換しているお客さんも多いので、直接話を聞き、どのグループの何が好き、というところまで把握しているんです。
━━アーティストとお客さん両方から見て、One to Oneマーケティングが成立している。「マンダリン・オリエンタル・バンコク」でホスピタリティの高い接客を極めたNuttyさんだからこそですね。
その信頼を積み重ねていくことで、私たちがサポートしたいアーティストの音楽を聴いてもらうことができる。つまり、まずはお客様の望むものを常に仕入れ、新しい音楽をお客さんに供給し、結果としてコミュニティが盛り上がっていくという循環を作り続けたいと思っています。
Interviewer’s Eye
Nong Taprachanは11時開店で、この日は10時台から取材をはじめた。すると通りがかったタイのマダム2人組が「もう開いてる?」とご来店。Nuttyは開店前にもかかわらず、お店のドアを開け、笑顔で接客をはじめ、マダムたちの好みを会話で引き出した。その結果、開店前にCDが4枚も売れていった。
その瞬間、正しいと確信できる仕事をしていく
━━アジアの音楽業界を見ていると、多くを男性が占めていると思います。その中で、Nuttyさんが20年もやってこれた理由はありますか。
私は大学を卒業してからずっとビジネスをしていたので、自分自身を「音楽業界の女性」とは思っていません。私はただ行動し、その瞬間に正しいと確信できる仕事をするだけです。
━━なるほど、その軸こそが、長く働く秘訣なのかなと思いました。最後に今後バンコクの音楽シーンで実現したいことを教えてください。
アートと商業をより融合できればと思っています。私にとって音楽はアートですが、アーティストが食べていくために、商業的な活動も行わなくてはいけないですよね。だから、アートと商業は両立させるべきです。アーティストにはお金を得る権利があり、より良いアーティストとして、ステップアップしていく必要があります。
━━アートと商業のバランスは国境を問わず多くの人が悩むところでもあります。
Nong Taprachanでは、アーティストを利用したくないので、大きな金銭的メリットを求めません。自分たちで音楽を作って、CDを作るってただでさえ大変ですよね。だからインディーズアーティストがNong TaprachanにCDを置くとき、私たちはアーティスト側にどれだけ稼ぎたいか、つまり販売価格や手数料を決めてもらいます。それは同時に、Nong Taprachanにどれだけ利益をもたらしたいかを決めるので、非常にフェアだと思います。そして、インディーズアーティストに演奏のためのスペースも提供しています。アーティストから私たちに良い音楽を提供し、非常に小さな利益を得ることをお互い認識しています。
━━アーティスト側が利益配分を決められる仕組みというのは、日本では通常考えられないですし、他のアジアの国でも珍しいのではないでしょうか?
win-winかつフェアな活動と信頼を積み重ねていった結果、Nong Taprachanには多くのアーティストが集まっていると思います。アーティストの友人であり、良きパートナーであろうとしているのです。
これからも、お客様のためのお店であると同時に、音楽をプロモーションして、多くの人に聞いてもらえる手助けができればと思っています。
━━ありがとうございました。
Interviewer’s Eye
「Asian Experimental 100 people」は、10年をかけて100人の「アジア音楽を様々な形でつなぐ人たちに会いにいく」ことを目的として開設された。私がこのサイトを運営する上で、一人の人間として正しいことは、男女を問わず取り上げるべき人を100人紹介することだ。
「アジアの音楽業界で誰か面白い人いませんか?」と周りに聞くと、男性の名前が真っ先に出てくる。表に出てくる情報に偏りがあるのは事実である。
だけど、だからこそ、この偏りを正すにはどうすれば良いのか。その答えを探していきたい。そして、願わくは100人のラインナップが完成した暁には、ジェンダーバランスが取れている状況になっていることを心から願ってやまない。