「この子、マジで才能あるから見てみ?」
新しい音楽に出会うのが好きな人であれば誰でも、そんな会話をしたことがあるだろう。
2018年頃、はじめて彼女を知ったのは、そんなありふれた日常のワンシーンで、知り合いから共有されたある動画だった。
いつもと違っていたのは、私が数年経ってもその時の印象を忘れなかったことだ。ある屋内のステージ、「I MEAN US」というバンドで、歌いながらキーボードを弾くその女性は、まだ若く、当時20代前半だろうか。美しい歌声とパワフルなライブが印象的だったのはもとより、内側から発光しているような不思議な存在感を放っていた。
前置きが長くなったが、その人物こそが、今回、Asian Experimental 100 Peopleの6人目として登場するMandark(マンダーク)である。
Mandarkは、台北を拠点に活動する女性ソロアーティストで、ドリームポップバンド「I MEAN US」やアーバン・ポップバンド「Sweet John(繁体字: 甜約翰)」のメインボーカリスト/キーボーディスト。
バンド活動が軌道に乗った後、2021年よりソロ活動を始め、DE DE MOUSEやTokimeki Records、光学とのコラボレ-ションや可憐なビジュアルにより、日本でも注目され始めている。日本のみならず韓国のアーティストとのコラボレーションや、I MEAN USの活動における映画音楽の提供など活動の幅が広く、数も多いことから、その進化のスピードから目が離せない音楽関係者も多い。
彼女と初めて対面したのは、一方的な初対面から数年経った、2023年の台湾ゴールデン・インディー・ミュージック・アワード(GIMA:金音創作獎)の式典終了後、ステージ下でのことだ。Mandarkは、突然話しかけた日本人ライターにすらフレンドリーに接し、握手を交わしてくれただけでなく、日本ファンへのメッセージ動画の撮影にも快く応じてくれたのである。
今回は、フレンドリーでミステリアスな彼女のルーツに迫るとともに、台湾から海外に進出するアーティストとして、政府のサポートやアーティストのメンタルケアの問題、そして名曲『Søulмaтe』について訊いた。
Mandark
台北拠点の女性アーティスト。國立臺南藝術大學応用音楽学科卒業後、ドリームポップバンドI MEAN USおよびアーバンポップバンドSweet John(繁体字: 甜約翰)メインボーカリスト/キーボーディストとして加入。2021年にソロ活動をスタート。シンセポップ、インディーポップ、オルタナティブR&Bなど、さまざまなジャンルを行き来する未来感のあるサウンドを届ける。DE DE MOUSEやTokimeki Records、光学、jeanなど日本の音楽シーンとのコラボレーション作品も多数。SXSWや釜山ロックフェスティバル、Audiotree Liveへの出演によりインターナショナルに活動を展開し、台湾内外で注目度を高めている。
クラシックの土台とロックへの転換
━━2023年のGIMAでお会いして以来、1年ぶりですね!今日はMandarkさんの経歴から深く掘り下げられればと思います。90年代のお生まれですが、当時はどのような音楽を聴いていましたか?
実は、幼少期はあまり音楽と接点のない生活をしていました(笑)。出身地は台湾の南投県で、お茶屋さんを営む両親は進んで音楽を聴くタイプではなく、ジェイ・チョウなどのポップソングすら耳にする機会はありませんでした。ただ、南投※という地域柄、多くの小学校では中国の伝統音楽を学ぶことがとても盛んで、コンクールに参加する学校も多かったんです。私も笛子(中国のフルート)を習うことを選び、中国音楽の伝統的なオーケストラに参加し、活動していました。
※南投県は台湾最大の台湾茶葉の生産地であり、県内にある茶畑の面積は全台湾の4割を占めるともいわれています。さらに、タイヤル族、ブヌン族、ツォウ族など台湾原住民が多く暮らしています。
━━意外です! 中学校からバイオリンを習われていたそうですが、それはどんな背景で?
母の影響が大きいです。母はクラシック音楽が好きでチェロを習いたかったという希望はあったものの、生家があまり裕福ではなかったため、叶わなかったそうなんです。母のその夢を継ぐような形で、小学校では伝統音楽の他に、習い事としてピアノを習い、更に中学生でバイオリンを習えることになりました。
━━Mandarkさんの音楽からはクラシックの要素を感じることがあり、そのルーツが気になっていたんです。学生時代に音楽的な基礎を身につけられたんですね。
そうですね。ただ、クラシックって、譜面を見ながら決められた通りに演奏することが求められますよね。クラシック音楽をやっていた時は、自分で作詞・作曲をするということはありませんでした。高校卒業後、國立臺南藝術大學で音楽制作を学びましたが、創作活動をはじめたのは大学を卒業したあと、バンド活動を始めてからです。I MEAN USに誘ってくれたVitz (楊永純)は大学の同級生で、彼女はクラシックをロック・ミュージックに持ち込むということを実験的にやってみたかったそうなので、クラシックを通っていてよかったかもしれません。
“高校生の頃、iTunesのおすすめで偶然クラムボンを知り、ずっとクラムボンを聴いていた時期がありました。「シカゴ」を聴いて涙が止まりませんでした。”
Mandark
台湾政府による文化支援。恵まれた環境にも潜む心の問題
━━Mandarkさんがバンド活動をはじめた2015~16年といえば、台湾のインディーズシーンでは、White Wabbit Recordsを中心としたムーブメントがあった頃だと思います。当時のシーンの雰囲気について教えていただけますか。
私がバンド活動を始める以前、「インディーズ・ミュージック」の市場には、インディーズミュージシャンを支援するための確立された助成金制度もなかったし、今ほど活気のある聴衆や演奏の機会もありませんでした。しかし私たちがデビューした頃からは、徐々に海外公演へ行くアーティストも増えましたし、海外公演をバックアップする企業・人材が出てきた時代でもありました。その点、運が良いというか、恵まれていた感覚はあります。
━━ゴールデン・インディー・ミュージック・アワード(GIMA:金音創作獎、以下GIMA)がはじまったのが2010年で、そこから数年かけて、インディーズアーティストを取り巻く環境が変わってきたのでしょうか。
そうですね。ゴールデン・メロディー・アワード(GMA)とは異なり、ゴールデン・インディー・ミュージック・アワード(GIMA)は、70%以上が自身で創作したオリジナル作品であることが応募条件です。創作性が重視されることで、インスピレーションを原動力に音楽を創作するアーティストが評価されるようになったのは、大きな革新だと思います。
※ゴールデン・メロディー・アワード(GMA)は1990年にスタートし、その20年後の2010年にゴールデン・インディー・ミュージック・アワード(GIMA)がスタートした。
━━GIMA以外にも、台湾ではインディーズカルチャーに政府のスポンサードがありますよね。インディペンデントなアーティストが政府の支援を受けることには、もちろん賛否両論あると思うのですが、実際に海外で精力的に活動する当事者から見ていかがですか。
台湾の環境が他のアジアの国と違うと気づいたのは、実際に海外のアーティストから「どうしてそんなに海外で活動できているの?」と聞かれた時だったんです。メジャーアーティストならともかく、インディーズなのに海外で活動できるのはすごい、と。その時初めて「文化を広める」という目的を持った助成金制度が台湾にあり、しかもそのサポートはインディーズミュージシャンにまで届き、アルバムの制作や海外公演ができることは恵まれてるんだな、と気づきました。
“台湾の環境が他のアジアの国と違うと気づいたのは、実際に海外のアーティストから「どうしてそんなに海外で活動できているの?」と聞かれた時だったんです”
Mandark
━━もうひとつのアーティストサポートの側面には、メンタルケアの問題があると思います。日本では長い間、アーティストへのメンタルケアへの理解が不十分で、ここ数年でようやく、影響力のあるアーティストが心の問題をカミングアウトし、大手メディアに取り上げらる事例が出てきています。台湾では、アーティストの心の問題に対してアプローチはありますか?
全く聞いたことがないですね。心の問題にはネガティブなイメージが付きまとうので、周りに助けを求めたり、打ち明けたりできない人も多いです。実際に、周りには苦しんでいるアーティストもいるし、自殺してしまった友人もいます。
━━台湾でも、日本と同じ状況なんですね。
その友人とは一緒にご飯を何か食べたり、一緒にライブに出たこともあって近い関係性だったし、亡くなる直前に会ったこともあったのですごくショックでした。「どうしてこれだけ一緒にいたのに気づけなかったんだろう」という自責の念にも駆られましたし、関係者からのプレッシャーがあったと聞いて「どうしてもっと寄り添ってあげなかったの?」と憤りもしたし、周りの人も気づいてあげられなかったんだろうか、と思いもしました。
ただ、どうやって声を挙げれば良いかわからないという状況の中で、「悲しいけどどうすることもできない」という空気があって、そこから変わっていないというのが現状だと思います。
━━そうした現状に対して、どう思いますか?
心の問題は「見えない癌(看不見的癌症)」のようなもので、それををどうやって見つけていくのかは、大きな課題でもあり、みんなで考えることで良くなっていくんじゃないかなとは思います。ただ、これまで台湾では大きい課題として捉えられているわけではないので、アーティストさん達からどんな反応があるか、そしてどうやって統計を取るのか?など、難しい問題があるでしょうね。
音楽業界だけではなくて、ソーシャルメディア中毒になっている若者の身にも起こり得ることなので、みんなで気を付けていかないとけないんじゃないかな、と思っています。
心のやりとりが生み出すコラボレーション
━━Mandarkさんは、バンド・ソロ含めてアジアでの活動も多いですが、印象に残っていることはありますか。
旅行で行く海外と、仕事で行く海外は違う印象を受けます。日本と韓国でMVを撮影した時には、出会ったメンバーがめちゃくちゃ優しくて、目的である仕事以外にも、友達を紹介してくれるような交流があって、そうした交流の中で生まれるインスピレーションがあるんじゃないかなっていう風に思います。
━━日本では8月に「DJV」のMVを撮影し、Mandarkさんのお誕生日に公開されていました。
はい、今回一緒に作品を創ったjeanは、以前「XY GENE」という名義で活動してた時にオンラインで知り合いました。今年から 「jean」というユニットで新たな活動を始めたのですが、一度も会ったことがありませんでした。8月に「DJV」のMV撮影のために初めて正式に会い、3日間一緒に作品作りを行いました。短い時間でしたが、jeanのダンスも、撮影チームのプロ意識もとても印象的で。最終的に、私たちは美しい作品を作り上げることができ、深い感情的なつながりを感じたんです。結局のところ、言葉はそれほど重要ではないのだと改めて実感しま
━━日本でのつながりと言えば、I MEAN USの人気曲で、2024年に日本のTsudio Studioによるリミックスバージョンがリリースされた「Søulмaтe」は、もとはMandarkさんが作曲されたそうですね。
はい、私は大学卒業後、台北の音楽ライセンス会社で音楽プロデューサーとして働いていました。雇われの身でありながら、音楽制作のための個室を持たせてもらえたんです。そして付き合っていた彼氏と色々あって破局した後、突然の辛い別れを噛みしめながらその個室で密かにこの曲を作りました。
━━そいつ、見る目ないですね(笑)
(笑)。実は歌詞の一部には、元カレとの実際のやりとりを使っていて。
出だしの“Your kindness take me up So bring me down (I) say anything I like Since I met you“は彼が私に言ったことで、「“Some differences between us It’s never changing love Promise me you will not Let me be free”」はそれに対する私の答えなんです。
━━元カレとのやりとりを含むMandarkさんの感情が込められたものが、デモバージョンと、I MEAN USのオリジナルバージョンと、Tsudio Studioによる3つの段階で進化しているわけですよね。
Tsudio Studioのリミックスを最初に聴いた時の印象は「意外」でした!全体的に甘い雰囲気があり、その甘さにより悲しみが引き出されている。同じ曲なのに、受け取る感覚がこうも異なるんだな、と。リミックスバージョン、I MEAN USバージョン、デモバージョンと時系列を遡るにつれ、素朴な印象になっていきますね。
━━「Søulмaтe」はI MEAN USの人気曲で、日本ともつながりがある曲なので、BiKN Festival shibuya 2024で演奏するかな、と思ってたんですが今回のセットリストには入っていませんでしたね。
「Søulмaтe」は台湾や他の国のライブでも、あまり歌わないんです。特別な理由はないんですけど、あえて言うなら普通に演奏するだけでは、お客さんに伝えきれないことが多いと思っているんです。MVができるまでにも多くの時間がかかった曲ですし、演奏だけでなく、照明など舞台の要素もちゃんと整ってないと、曲の背景が伝えられないというか。「何のことなんだろう」「面白くないな」って思っちゃうかなって。
━━「日本とつながりがある」みたいな部分と、実際のお客さんへのパフォーマンスと、切り離して考えているんですね。アーティストとしてのMandarkさんのスタンスがより理解できたように思います。最後に、今後のビジョンについて教えてください。
まず、Sweet Johnでは、少しずつ海外公演などの機会に恵まれはじめたので、ひとつひとつのチャンスを大切にして、完璧に手掛けたいです。I MEAN USは、オリジナルアルバムの制作と、サウンドトラックの制作に注力していきたいです。最近、映画への楽曲提供の依頼を受けているんですけど、今後は海外の映画にも誘ってもらって、いい音楽を作れたらなと思っています。私自身はやってみたいと思う音楽をもっと作っていきたいと思っています。
━━ソロ活動のビジョンも是非。
アルバム『BADA88』をリリースしてから1年経ち、やりたい方向性は決まってきました。ただ、台湾ではバンドブームで、ソロアーティストはパフォーマンスする機会が少ないので、もうちょっとライブの機会を広げていきたいなと思っています。
━━日本では女性ソロアーティストのパフォーマンスの機会も多いので、是非日本でもパフォーマンスを見られたら嬉しいです。ありがとうございました!
Interviewer’s Eye:魂を動かし、心を支える
アーティストは、魂をステージに移動させ、パフォーマンスを行っている。だからこそ魂を支える「心」の健康は何より大事で、心の健康が経済条件に左右されることはある。(みんなそうですよね)
だけれど、経済条件が良い=心の健康ではないし、多くの人が理解を深めることで解決に向かう課題であることを、今回改めて認識した。
欧米では、アジアに先駆けてアーティストのメンタルヘルスへのアプローチが始まり、専門の団体による支援も広がっているようだ。日本はその動きからやや遅れながらも、サカナクションの山口一郎やtofubeatsがカミングアウトしたことで、徐々に理解が進んでいくというフェーズだろう。2024年は、ちゃんみながオーディション番組で「アーティストとメンタル」について言及したことも記憶に新しい。
Mandarkさんは、音楽的な素養を育み、大学で音楽にまつわる高等教育を受け、商業用音楽のクリエイターとして働き、その後アーティストとしての階段を駆け上がっている(あまり多くを語らなかったが、精神的に大変だったこともあることは想像に難くない)。しかし、メンタルケアに対するアプローチや風潮が恵まれてるとは言えない中でも、現在は「心」を深く理解できる仲間の輪を海外にも広げ、精力的に活動している。
完璧なパフォーマンスを目指し続けること。心の健康を守り続けること。それがどれだけ難しいことだろうか。
「台湾だけでなく、アーティストの心の問題について、アジア各国ではどんな取り組みがあるんだろう」。この記事を読んだ方にも、そんな想いが芽生えていたら嬉しい。