アジアインディー界隈の「姉貴」がつなぐ
音楽×国際協力の地平線
ビジネスのどの分野においても、理想と現実の両立はむずかしい。インディペンデントな音楽、という領域では殊更に、あらゆる関係者が(私たちのようなメディア関係者でさえ)、収益化の壁と向き合いながら、続けるべきか、辞めるべきか悩んでいる。
Asian Experimental 100 People 8人目に紹介するのは、「アジアインディーのクロスボーダー」というテーマで活動を続ける台湾のWeining Hung(洪維寧/ ホン・ウェイニン)だ。タイのプム・ヴィプリットや韓国のADOYなど、アジアのアーティストの海外進出を支援するブッキング / マネジメントエージェンシー、9 kickの代表で、この界隈では知らない人はいない。
そして、Weiningには「革新者」という印象を持つ音楽関係者も多い。
というのも、彼女は2017年、台湾初のショーケースフェスティバル※「LUCfest 貴人散歩音樂節」(以下、LUCFest)を台南でスタート。台南は台湾で随一の歴史ある古都で、日本ではしばしば京都にたとえられる。LUCFestは、古い建築物、公共施設、映画館など様々な施設がフェスの会場に様変わりするという、町全体を巻き込んだ趣深いフェスだったという。
そんな魅力あるステージにアジア各国からアーティストや音楽関係者が招かれ、日本からは青葉市子、KIRINJI、折坂悠太などのアーティストが参加している。
※ショーケースフェスティバルとは:アメリカの『サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)』のように、業界関係者への商談会としての側面を持つ音楽フェスティバルである。日本では「東京国際ミュージック・マーケット(TIMM)」や「Music Lane Festival Okinawa」が知られている。

魅力ある都市に、アジアの音楽関係者が一堂に会し、ライブや商談会が行われるーー彼女は前例のない座組を実現し、新たな道を切り開いた。LUC Festは7年連続で開催され、2024年はさまざまな事情により休止(詳しくは本文に)。
今後のLUCFestの開催予定は未定だが、アジアの音楽関係者のネットワーキングを促進する環境を整えた功績は大きい。
Weiningにインタビューを申し込んだきっかけは、4人目で登場したInfong Chenが、我々の記事をSNSで紹介し、そこに彼女がコメントしているのを見かけたことだった。快くインタビューを受けてもらったのでここに紹介する。(取材協力:トリップショットホテルズ・沖縄コザ)



LUCFestの様子
Weining Hung(洪維寧 / ホン・ウェイニン)
台湾・台北市出身。アジアの音楽業界を牽引するひとりであり、その幅広い関与と革新的なアプローチで知られている。タイのプム・ヴィプリット、VIM、Numcha、韓国のADOYなど、アジアの新進アーティストをサポートするマネージメント&ブッキング・エージェンシー、9kickを設立した。彼女の仕事は、アジアと世界の音楽市場をつなぐこと、アジアのミュージシャンを国際的な成功のために育てること、より多くの国際的なミュージシャンを紹介することでアジアの音楽シーンを多様化することに重点を置いている。2017年から2023年には、台南でショーケース・フェスティバル+カンファレンス”LUCfestを開催した。(現在は休止中)

西洋音楽文化との出会い
━━まずはWeiningさんご自身のことを伺いたいのですが、音楽との出会いについて教えていただけますか?
私は台北市出身で、軍人の父、教師の母、そして妹という家族構成の中流家庭で育ちました。両親は音楽が好きで、母はカーペンターズやビートルズといった西洋の音楽、そしてギリシャの歌姫ナナ・ムスクーリが好きで、よく聞いていました。
━━ハイカラなお母さんだったのではないでしょうか。お父さんはどんな人で?
父は対照的に、中国語の民謡の一つである「小調」や、1970年代に台湾の大学生の間で起こったフォークソング・ムーブメントから生まれた音楽が好きでした。そんな環境で、私が音楽に目覚めたのは8、9歳の頃です。
━━具体的にどんなきっかけだったんですか?
父の友人にある大手食品工場のオーナーがいて、その方の大きな一軒家に遊びに行くことがありました。本格的なステレオシステムがあって、色んな音楽を聴かせてもらえたんです。
━━その体験が音楽人生の転機になったと。
そうなんです。ある日聴いた曲が気になって、『おじさん、このアーティストは誰?』って聞いたんです。まだ英語も習ってなかったので、紙に書いてもらって。そのメモを持ってレコード店に行き、人生初めて自分のお小遣いで買ったカセットテープが、Europeの『The Final Countdown』でした。
━━西洋の音楽に比較的早くから触れていたんですね。
これをきっかけに、私のレコードショップ通いが始まりました。当時はSpotifyもApple Musicはおろか、MySpaceすらない時代で。新しい音楽と出会うには、実際に店に足を運ぶしかなかったんです。MTVで気になった曲があれば必ずメモを取って、お店で探していました。地元のレコードショップによく行きましたが、台北のタワーレコードや玫瑰唱片(ROSE Records)※ にも通うようになりました。
※1 台湾におけるタワーレコード:タワーレコードが台湾に上陸したのは1992年。日本以外ではアジア初の支店だった。西門町など繁華街を含め、最大で4店舗展開したが、2003年に全て撤退している。
※2 玫瑰唱片(ROSE Records):台湾のレコードショップ。かつては台北のみならず台中などチェーン展開していた。2025年現在は、台北駅向かいの新光三越裏にある『玫瑰大衆古典館』のみ営業している。
━━学生時代、特にハマったアーティストはありますか。
私の場合、一つのジャンルに熱中するタイプでした。でも、アンダーグラウンドだけじゃなくて、メインストリームの音楽も大好きでしたね。プロダクションのクオリティが素晴らしいものも多いですから。
高校時代は特にブリットポップにハマってて、ブラーとかオアシスをずっと聴いてました。母は『なんでこんな音楽聴くの?』って困惑してましたけど(笑)
━━(笑)。Weiningさんが青春時代を過ごされた1990年代後半以降には、『Spring Scream Festival(春天吶喊)』※3 が始まるなど、台湾のインディーズ音楽文化が少しずつ萌芽していく時代だったと思います。これらの影響は受けているのでしょうか?
確かにその頃は台湾のインディーズシーンの超初期でした。友人の中には、その時代のインディー音楽界で名を馳せた人もいます。ただ、私はそうしたムーブメントではなく、西洋の音楽シーンから影響を受けていました。初めて足を運んだ音楽フェスは、大学院に進学する前、初めてイギリス・ヨーロッパをバックパック旅行をしたときに足を運んだ『レディング・フェスティバル(Reading Festivals)』でした。
※3 Spring Scream Festival(春天吶喊):1995年にスタートした、台湾のリゾート地墾丁(ケンティン)で行われる音楽フェスティバル。
“私も若い頃は「恋愛脳」で、恋愛に左右される決断も多かったですね”
Weining

キャリアチェンジ:IT業界から音楽業界へ
━━音楽業界に入る前は、どんな道を歩んでこられたんですか?
國立陽明交通大學で文学を学び、大学3年生の時に台北の通信社でインターンをしました。でも、ジャーナリストは私の道じゃないって気づいて、イギリスの大学院で社会学を学びました。卒業後台北に帰国した際に、私生活での大きな転機があり、オランダのIT企業に就職することになったんです。
━━ぜひ詳しく教えてください。
実は当時、大学院在学中に知り合ったイギリス人の彼氏を台湾に呼び寄せていたんですけど、破局しちゃって(苦笑)。彼はイギリスの博士課程に進学が決まりかけていたにもかかわらず、それを辞退して、私と一緒に台湾に来て、台湾の大学で博士課程に進学してくれたんです。中国語も良く学んでくれました。
━━素敵なボーイフレンドだったんですね。
私も若い頃は「恋愛脳」で、恋愛に左右される決断も多かったですね。その失恋をきっかけに「もう台湾にいたくない!」と、勢いで海外の転職活動を始めて、なんとオランダのIT企業に採用されたんです。
━━恋愛に限らず、人間関係がキャリアに影響されることって、よくありますよね。
そういうわけで2004年からオランダでプロダクトマネージャーとして働き始めました。実は私、ロジカルな思考の持ち主で、数字が好きで。IT業界の意思決定や、業界文化には馴染めたんです。でも、音楽への情熱は全然冷めなくて…週末は完全に音楽漬けでした。年間100本のライブに通い詰めて、音楽フェスにも年5〜10回は参加してました。
同僚からは「なんでIT業界にいるの?音楽の仕事するべきでしょ」って言われて。そこで、まずは音楽業界の人たちと話すことから始めました。彼らは何をしているのか、どんな問題があるのか、解決したい問題は何なのか、そして私がどのようにサポートできるかを。その結果、「台湾やアジアのアーティストのヨーロッパ展開を助けよう」というアイディアが閃いたんです。IT業界の経験を活かして、2012年に立ち上げたのが、アーティストとファンをつなぐクラウドファンディングプラットフォーム『Gigdiving』でした。
━━どんなサービスだったんですか?
平たくいうと「ファンが投票してアーティストを自分の街に呼べる」というプラットフォームです。当時、こういったサービスで成功してたのはK-POPアーティストくらいで。私たちも4年頑張ったんですけど、ビジネスとしては軌道に乗せられませんでした。
━━でも、その経験は次につながりましたよね?
そうなんです。『Gigdiving』を運営しながら、ヨーロッパでプロモーターとしても活動を始めて。業界の人脈がどんどん広がっていったんです。特に2013年に初めて『Eurosonic Noorderslag』※4というフェスに参加して、アジアでもショーケースフェスを作りたいと思うようになりました。
というのも、アジアのアーティストをヨーロッパに売り込むのって、すごく時間がかかるんですよ。それなら、アジアでショーケースフェスを開いて、アーティストと業界関係者が出会える場を作った方がいいんじゃないかって。アジアで新しいことを始める時期だ、と確信し、2015年から台湾でショーケースフェスティバルを開催する構想を膨らませていきました。
※4 欧州最大級の音楽見本市・フェスティバル
LUCFest Photo Gallery






LUCfest 誕生秘話
━━LUCFestは、イベント開始後、4年目には3日で10万人を動員したそうですね。当初はどのような構想で始まったのでしょうか?
私は何かをはじめるとき、いつも3年後、5年後、7年後のビジョンを描くんです。特に『東南アジアの音楽シーンをつなげたい』という強い思いがありました。東南アジアって一定の市場規模があるのに、東アジアの音楽業界からはあまり注目されてなかったんですよ。韓国の『SXSW』と呼ばれるZandari Festaですら、それまでは東南アジアからのアーティストを呼んでいなかったんです。
━━具体的にどんなアプローチを?
まず初年度はタイ、2年目はフィリピン、3年目はシンガポール、4年目は韓国、5年目はインドネシアというように、毎年フォーカスする国を変えていきました。これは単なるショーケースじゃなくて、アジアの音楽関係者が出会い、協力関係を築ける場にしたかったんです。
━━確かに、プム・ヴィプリットの海外展開もLUCFestがきっかけになったと、2人目に登場してくれた大崎さんも話していました。タイにフォーカスした結果がさっそく花開いたわけですよね。ビジネス面での目標設定はどのように考えていましたか?
現実的に考えて、「最初は600〜700枚のチケット販売からスタートし、3年で2000枚のチケットを売り上げる」という段階的な目標を立てました。結果的に予想以上の成長を遂げましたが…実は大きな課題も抱えていたんです。
━━どんな課題でしょうか。
端的に言うと、ビジネスモデルとしての脆弱さですね。人と人をつなぐ場としては機能していましたが、収益面では台湾政府の資金提供に依存せざるを得なかった。2022年は支援なしでも、いくつかのスポンサーシップとチケットの売り上げで収支均衡まで持っていけましたが、それでもスタッフの疲弊は避けられませんでした。
2022年の開催の後、2023年の初めに、3人のスタッフが退職しました。限られた予算とリソースの中で働くと、多くのタスクを遂行しなければならず、疲弊してしまいます。皆、5年間もの間働いていましたが、小さな組織なので、昇進の機会はあまりありません。
加えて、私たちは『新しい音楽との出会い』を提供したかったんですが、実際のお客さんは『知ってるアーティストが見たい』というニーズが強かった。市場のニーズと逆の方向に動いているんです。
━━台湾では、海外の新鋭アーティストは厳しい状況になっているという話も聞きます。
台湾って、音楽業界という『産業』がほとんどないんですよ。政府がアルバム制作のための資金を提供すれば、アーティストは個人で活動できてしまう。レーベルもマネージャーもディストリビューターもいらない。一見自由に見えますが、実は持続可能な産業として成立していないんです。
例えば、台湾最大の音楽フェスである「大港開唱」は少し前までスタッフのほとんどがフリーランスの集まりでしたし、他の音楽フェスティバルも基本的にはそうです。音楽フェスの運営は季節ごとのスポット業務ですから、1年間食べて行ける十分な仕事がないのに、わざわざ専業になる必要はないですよね。だから、日本で言うSmashやCreativemanのような、大手マネジメントや、大手プロモーターの会社がないのです。
━━なるほど…台湾で知り合う音楽関係者の人材の流動性が高いと思っていたのですが、そうした構造的な理由があったんですね。
日本の場合は違いますよね。レコード会社あり、フェス運営会社あり、業界団体ありで、エコシステムができている。だからこそ、日本でショーケースフェスをやると成功する可能性が高いと思うんです。音楽業界で起きている様々な問題に対し、1つのシンプルな解があるわけではありませんが、産業基盤が成立し、関係者同士の協力があることで、新しい才能も育つんですよね。
“ロジカルに考えるのが苦手なら、得意な人とチームを組めばいいんです”
Weining

アジアから海外へ。成功への現実的アプローチ
━━ここからは、Weiningさんがアーティストを支援されてきたご経験から、アジアのインディーズ音楽の発展について聞けたらと思っています。端的な質問となりますが、アーティストが海外進出を志す時のポイントを教えてください。
結論から言うと、『チームを作ること』です。特にレーベルやマネージャーの存在は重要です。私たちブッキングエージェントは、アーティスト個人よりも、マーケティングなどプロモーション・サービスを含むプロフェッショナルなチームと仕事がしたいんです。
━━近年は、レーベルに所属せずDIYで活動するアーティストも増えていますが、それでもレーベルやマネージャーは必要でしょうか?
SNSやストリーミングの時代だからこそ、チームの重要性は増しています。例を挙げましょう。あるバンドが10年間DIYで活動していて、ライブも素晴らしい。でも、Spotifyの再生数は微増に留まり、ファン層も広がっていない。そうすると、イベントのプロモーターは『10年やってるのに成長してないじゃん』って思うんです。
その場合、プロモーターにブッキングを勧めることができるでしょうか?「いいバンドだ」「素晴らしいライブでお客さんが盛り上がっていた!」と言っても、プロモーター側は納得しません。実際に私がビジネスの話をしているアーティストの中にも、「きちんとしたチームを作るの待っているよ」と伝えているミュージシャンもいます。
━━コロナ禍を経て、海外へ活躍の場を求めるアーティストが増えている印象です。Weiningさんから見て、正しいステップは何でしょうか?
まず、数字で考えてみましょう。たとえば、Instagramのフォロワーが700人、Spotifyのフォロワーも700人で月間再生1000回未満。こんな状態で海外に行って、誰のために演奏するんですか? 10人のために渡航費用を使う? それなら、まずは自国でファンベースを作るべきですよね。
SNSやストリーミングを活用すれば、海外のファンは自宅からでも作れます。大切なのは、現実的なプランを立てること。感覚だけで動くんじゃなくて、ロジカルに考える。それができない人は、できる人をチームに入れることです。
━━ありがとうございます。アジアの音楽業界全体の課題について、1つ挙げるとしたらどんなことが考えられるでしょうか?
『フェアなコミュニケーション』の欠如ですね。特にアジアの文化として『NOと言えない』ところがある。一見、思いやりに見えますが、ビジネスでは逆効果なんです。
━━具体的なエピソードを伺っても良いでしょうか。
実例を挙げると、日本のアーティストとのブッキング契約の話が浮上し、契約書へのサインを待っていましたが2年間進展せず、最後に『他の会社と組むことにしました』と言われたことがあります。その2年間、私は様々なプロモーターに紹介し、アーティストの知名度向上に貢献しました。でも契約不成立で、労力が水の泡に。『合わないなら合わない』とすぐ言ってくれればよかったのに…。
だから、もし一緒に仕事をするなら、私は皆さんが真実を伝えてくれることを願っています。一緒に仕事をしたくないと言われるかもしれないし、確信が持てないと言われるかもしれない。たとえそうだとしても、話を進めるためにアクションするのが難しい理由を教えてほしいのです。
━━私たち日本人は「ノー」と言えない気質があるのは確かです。
ただ、実は最近、そもそも私自身が同じような誤りを犯していることに気づきました。何か気づいたことがあったとしても、すぐに伝えずに控えてしまうことが多かったのです。それが、数年後には大きな問題になってしまうこともありました。
今年は、自分の考えを人に早く伝えるよう努めたいと思っています。今すぐに意見を言えない場合、必ず2日以内にメールや電話で伝えるように自分に課しています。私が良い手本にならなければ、周りも同じ誤りを犯すと思います。私はいつも同僚に、「相手に伝えなきゃ、知っているとは限らないから」と話しています。

“アーティストって感性だけじゃなくて、ビジネスの知識も必要じゃないですか? でも、それを体系的に学べる場所って意外と少ない。”
Weining
次なるステージへ:知識と経験を活かして
━━2024年は初めてLUCFestを休止するという決断をしましたが、どのように過ごされていましたか。
LUC Festは7年間、私の人生の中心でした。でも、休んだことで意外な発見もあったんです。今まで手が回らなかった、契約アーティストたちとじっくり向き合える時間ができて。彼らの悩みや課題に一緒に取り組めるようになりました。
━━新しいスタートを迎えられたんですね。
そうなんです。実は音楽業界の仲間たちと、長い間温めているプロジェクトがいくつかあって。今なら、それを形にできそうな予感があります。それと、私の中で『音楽教育』への情熱が強くなってきているんです。アーティストが成長するためには、感性だけじゃなくて、ビジネスの知識も必要じゃないですか? でも、それを体系的に学べる場所って意外と少ない。
━━Weiningさんならではの視点がありそうですね。
私、ロジカルでもあり、クリエイティブなことも大好きです。『才能』や『感性』も大事ですけど、『知識』があれば結果は必ず変わる。目標設定して、そこに至るまでのマイルストーンを作って…そういうアプローチが音楽でも必要だと思うんです。
だから今後は、音楽業界で必要とされる実践的な知識を、もっと多くの人に届けていきたい。コンサルタントやアドバイザーとしても活動していきたいですね。今までも無料でアドバイスしてきましたけど(笑)、それを本格的にやっていければと思います。
━━私がアーティストなら、まず間違いなくWeiningさんに頼ると思います! どうもありがとうございました。
Interviewer’s Eye:理想家が描く星座
ロジカルな語り口と「姉御肌」の佇まいに、ピュアな理想家の一面を見せる、とても魅力的なWeining。インタビューの間、「ショーケースフェスティバルを開こうと思うなんて、理想家しかいないんだよね」と語っていた。
そして、彼女がその理想の一つひとつを実現化していく中でもたらしたつながりは、アジア各国のインディーズシーンに根付いている。
2017年のLUCFestでは2人目に登場した大崎晋作氏も当時勤務していたインパートメントを代表して参加していただけでなく、Infong Chenは海外のレーベル代表たちによるクロストークのファシリテーター兼通訳をしていた。そこで大崎氏はプム・ヴィプリットと出会い、日本におけるサクセスストーリーがはじまっていく。まるで星座ができるように点と点がつながっていった。
Weiningがこれから切り拓く道に、どんな星座ができるのか?今後も注目していきたい。



