ホンデが“居場所”ではなくなった今も
── イ・ランが語る、アートと生の居場所
ジェンダー問題、インディーとK-POP、社会へのまなざし
私は文筆業だけで生きているわけではない。だから、1年間にこなせる取材はそれほど多くない。けれど、不思議な勘が働くことがある。「この人とは、近いうちに取材で会うような気がする」──そんな、妄想にも似た予感が、ふと訪れる瞬間。
韓国のマルチアーティスト、イ・ランとの出会いも、その直感が導いたものだった。
イ・ランについては、少し遠くから認識していた。まずは、孤独とユーモアの間にある飾らない感情を歌うシンガーソングライターとして。
さらに、2023年に、彼女が海外審査員として参加した台湾の音楽アワード『金音創作獎(Golden Indie Music Awards)』を、私は日本のプレスとして取材していた。また、2024年に同アワードでゲストパフォーマーとして、イーノ・チェンとコラボパフォーマンスを披露しているところを、配信で見た。
そして、2025年に文筆家の大石始さんがプレゼンターを務めるPodcast番組「オールナイト・アジア(仮)」に招かれた際は、その魅力について話をした記憶もある。
そんなイ・ランと実際に対面したのは、9人目として登場してくれたMinchaiの取材を始める直前でのこと。
韓国の音楽ショーケース『MU:CON』(読み:ミューコン)のスキマ時間、会場近くのカフェでMinchaiと話していたとき、ふと彼女の電話が鳴った。短い通話のあと、Minchaiがこちらを向いて言った。
「今からイ・ランが来るんだけど、いいかな?」
そう、その電話の相手こそ、まさにイ・ラン本人。MinchaiはMU:CONで、彼女をサポートしていたのだ。
やがて、ステージ用の赤いドレスに身を包んだイ・ランは「アーティスト用の控室がないんですよ、MU:CONって」とぼやきながら、流暢な日本語で私とMinchaiの会話をつないでくれた。そして、ホンデのインディーズシーンについての話題になると、長年の経験をもとに丁寧に補足してくれた。
その語りがあまりに濃密で、私は思い切って切り出した。
「それだったら、イ・ランさんで一本、取材記事を書かせていただけませんか?」
──この記事は、そんな偶然の連なりから生まれた記録である。
※トップ画像は、2016年11月29日 〈イ・ランと柴田聡子のランナウェイ・ツアー〉 at 東京 7th FLOOR にて撮影されたもの
企画協力:李昀儒 (Jubi Lee) / 邊走邊聽有限公司
2025年9月28日 Lang Lee Japan Tour 2025 at 東京キネマ倶楽部
イ・ラン 이랑
韓国ソウル生まれのマルチ・アーティスト。2012年にファースト・アルバム『ヨンヨンスン』を、2017年に第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞したセカンド・アルバム『神様ごっこ』を2016年にリリースして大きな注目を浴びる。2021年に発表したサード・アルバム『オオカミが現れた』は、第31回ソウル歌謡大賞で「今年の発見賞」を受賞、第19回韓国大衆音楽賞では「最優秀フォーク・アルバム賞」と「今年のアルバム賞」の2冠を獲得するなど絶賛を浴びた。その他、柴田聡子との共作盤『ランナウェイ』、ライブ・アルバム『クロミョン~Lang Lee Live in Tokyo 2018~』『プライド(ライブ・イン・ソウル 2022)』などを発表。文筆家としても活躍し、エッセイ集『悲しくてかっこいい人』(2018)や『話し足りなかった日』(2021)、コミック『私が30代になった』(2019)、短編小説集『アヒル命名会議』(2020)を刊行。2025年に最新作となるエッセイ集『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』(河出書房新社)を発表し、その真摯で嘘のない言葉やフレンドリーな姿勢=思考が共感を呼んでいる。
2010年代に音楽活動を本格的に始めたイ・ラン。アーティストとして、映画監督として、また社会運動やフェミニズムの現場にも立ち続けてきた彼女は、常に“社会と芸術の交わる場所”を探してきた。
本稿では、来日ツアーに合わせて刊行された書籍『音楽のはじまりと私生活 2010年のイ・ラン』(スウィート・ドリームス・プレス)以降を起点に、ホンデの変遷、韓国社会と芸術の関係、そしてK-POP時代を生きるインディーズアーティストの現在地を、イ・ラン自身の言葉でたどる。
生活と芸術が混ざっていた。あの頃のホンデは“場所”ではなく、コミュニティだった
━━2025年秋の来日ツアーに合わせて刊行された書籍『音楽のはじまりと私生活 2010年のイ・ラン』では、ランさんが様々な人と出会い、別れ、ファーストアルバムをリリースするまでの歩みが描かれていました。当時のホンデを振り返って、印象的な場所や出来事などはありますか?
私は音楽活動を始める以前、10代の頃からずっと『ホンデキッズ』で、足を運んでいました。もともとは美術作家を志していて、高校生になる頃には学校にはほとんど行けませんでしたが、有名なカルチャーマガジンで漫画を連載していたんです。当時はホンデの年上のアーティストたちと遊びながら、フリーマーケットをしたり展示をしたりして、自然と芸術のコミュニティのなかにいました。
※「ホンデ」とは:
ソウルにある私立大学・弘益大学校を中心とした地域。現在では、インディーズ文化を象徴するヴェニュー、CDショップに加え、ブランドショップや商業施設が立ち並ぶ街に。
━━では、2009年の象徴的な出来事「トゥリバン」闘争 ※ にも立ち会われている。
そうですね。アーティストたちはトゥリバンが入居するビルで24時間寝泊りをし、音楽イベントを連日開催して、お店を守っていました。それに、当時ホンデで演奏をして、初めてギャラがもらえたのが「トゥリバン」だったんです。
※「トゥリバン」闘争とは:「トゥリバン闘争」は、ホンデ地区にあったうどん(カルグクス屋)で、2009年に経営難や立ち退きの危機に直面した際、アーティストや市民が連日集まり、ライブやパフォーマンスを通じて支援・抗議を行った社会運動です。
━━書籍にも書かれていましたよね。イ・ランさんにとって、「お金が稼げる」というのは一つの軸になっている。
私は若い頃は本当に貧しくて。自立するためにいろんなものを作って売ったり、拾ったものを売ってお金に替えたりして暮らしていて。私にとって音楽は生活するための「売るものの一つ」なんです。
トゥリバンでライブを始める前に、ホンデにある有名なライブハウスに行き、演奏すれば報酬がもらえると期待してステージに立ったのですが、もらえなくてガッカリしました。だからこそお金がもらえることにはすごくこだわっていて。逆にギャラが出るイベントには地方でも行きましたし、電話番号を書いて呼ばれればどこにでも行く「出張演奏」のチラシを作って宣伝するなどしていたんです。
━━「音楽出前」ですね。その積み重ねで今のランさんがあるんですね。ここ十数年で、ホンデの風景はイ・ランさんの目に、どんなふうに映っていますか。
以前のホンデは、弘益大学(ホンイク大学)を中心に、美術大学の学生や、アーティストが自然に集まる場所でした。展示や、パフォーマンスが毎日のように開かれてたんです。
でも街が有名になるにつれて、お金のある人たちが高層ビルやアパレルショップをつくり始めて、いまでは〈Apple〉や〈ZARA〉が並ぶショッピングストリートになってしまった。もともとあった小さなコミュニティスペースはほとんど消えてしまって、今のホンデは明洞や江南と変わらない観光地です。
━━“アートの街”としてのホンデは、もう存在しない?
もともと私たちが「ホンデ」と呼んでいたのは地名じゃなくて、“芸術家がつながりあうコミュニティ”のことだったんです。でもいま残っているのは、「ホンデ」という言葉のイメージだけ。ライブハウスやレーベルは残っているけれど、環境はまったく違うし、ライブ以外ではホンデに行かなくなりました。現実の街にはもう、あの頃の空気はない。
実際に今はネットの時代だから、SNSがあればどこにいても発信できる。場所に意味がなくなってしまった現実があります。
編集注:2025年9月半ばに、私は初めて韓国・ソウルを訪問し、ホンデにホテルを取った。駅前には高層ビルが立ち並び、渋谷・表参道や銀座のような雰囲気だった。
物言う女性は爪はじきにされる。それでもつながり、伝え続ける
━━ランさんは、ふとやり過ごしてしまいそうな疑問や怒りを、生活者の視点で歌う強さがありますよね。そうした市民感情を歌うアーティストは他にもいるのでしょうか。
若い世代には少なくなりましたが、韓国には民主化運動の歴史から生まれた民衆芸術というジャンルがあり、音楽では「民衆歌手」という、民主化運動のために音楽を作る歌手がいます。
先輩ミュージシャンですとハンバッさん(Yamagata Twekster)は民衆歌手と呼ばれていて、私も「オオカミが現れた」以降は民衆歌手と呼ばれています。ただ、私の曲は民主化運動のために作っているわけではなく、自然と感情が入り込んでしまうので、必ずしも社会運動のためだけに歌っているわけではありません。
それから、韓国には「民衆美術」として、版画があります。ショッキングな出来事があったときに、その光景やスローガンをすぐ版画にして、Tシャツやポスターに刷る。そうしたデザイン市民たちの悔しさ、腐った国を変革しようと、デモで訴えていたんです。
━━版画に刷るっていうのは……
何かを伝えるためのTシャツやポスターを作りたいときに、印刷工場に出したりしていると、納期がかかりますよね。ありえないことや苦しい事件が起きたときに、その衝撃をすぐ伝えるための手段として、版画が必要だったんです。
━━ユン大統領の退陣を求める国会議事堂のデモで歌った「オオカミが現れた」の動画を見ましたが、かっこよかったです。音楽活動を通して社会的な意見を表現することについて、韓国社会ではどう受け止められているのでしょうか?
韓国では、政治的に“うるさい”アーティストは少数派で、少しでも声を挙げると、お金のある放送局や大きな舞台から締め出されてしまいます。「イ・ランさんはちょっと……」と言われているという話をよく聞きます。同じアーティストからも、「デモとか行って歌うのダサいからやめなよ」と。
だから、韓国では貧しいけれど温かいマイノリティのコミュニティにしか私の居場所はありません。逆に台湾に行くと、色んなコミュニティの方が仲間のように歓迎してくれて驚きますね(笑)
2024年12月14日、ユン大統領の退陣を求める国会議事堂のデモで歌った「オオカミが現れた」。
※日本語字幕あり
━━日本では、「MUSIC AWARDS JAPAN SOUND SCRAMBLE supported by 京都芸術大学」にも招かれ、国際的なステージに立っておられましたよね。
日本は社会問題と芸術を切り離している感じがしますね。もし、私が日本で生まれて、女性アーティストとして、デモの現場で歌うような活動をしていたら、受け入れられたのかな?と思うことがあります。外国人だから受け入れられている側面があるんじゃないかな、と。
━━日本では「はっきり発言する女性アーティスト」は、偉いおじさんと対立してしまったり、海外に行ってしまったり……。音楽シーンにおける「ジェンダー」や「権力構造」の問題も顕在化していますが、韓国ではいかがですか。
ホンデのシーンは一見自由に見えるけれど、根底には“おじさん中心の文化”が残っています。ライブハウスやイベントの多くは年上の男性たちが仕切っていて、女性がそこに入るのはとても難しい。権力やネットワークの構造がピラミッド型で、新人女性アーティストは、そのおじさんのコミュニティで気に入られないとパフォーマンスの場所がない。
女性アーティストも「このおじさんたちに気に入られなきゃ」と思い込んだり、付き合ったり……。セクハラやパワハラも多くて、それを正当化する人たちもいる。私も実際に性暴力を受けたこともあります。
━━韓国特有の背景があるのでしょうか?
韓国は軍人社会が作った「兄貴(ヒョンニム)※文化」がベースにあります。年齢によって階級や序列が決まり、立場が上の人が下の人を搾取するのが当たり前。たとえ女性だけの会社があったとしても「兄貴(ヒョンニム)文化」から逃れられません。そうした環境から逃れられない女性アーティストも多いし、ロールモデルもいない。苦しい環境だと思います。
※「兄」を意味する「형(ヒョン)」に敬意を示す接尾辞「님(ニム)」を付けた「형님(ヒョンニム)」に由来。儒教思想の影響を強く受けた年功序列や上下関係を重視する社会規範に根ざしています。
━━若い女性アーティストたちの中にも、悩みを抱える人は多いですか?
多いです。今日も、デビューして1年も経っていない、若い女性ミュージシャンがSNSで悪口や中傷を受けていました。そういう時には、「気にしないで。見ないで、精神的な筋肉を育てよう」とDMで声をかけます。ただ、直接会って話せる安全な場所がもっと必要だと思います。けれど、ホンデで良くも悪くも影響力のあるライブハウスやクラブは男性が作った空間が多くて、若い女性が安心して話せる場が少ないんです。
━━そうした環境を変えるために、何か動いていることはありますか。
まず、私個人的には外見的に“怖く見せる”ことを意識しています。嫌なことははっきり「嫌」と言うし、もし理不尽なことがあれば訴訟も辞さない。ただ、これが本当に私が発信したいイメージなのかもわからないのですが、一旦その立場にいないと。私が消えたら他の女性アーティストが危ない。そうしないと生き残れない。
━━理解できます。私はアーティストではないですが、30代半ばを過ぎて、「キャリアウーマン風」の見た目を作ったうえで、若い女性を守るような動きをすることもあって。
そこまでしても私が「ヒョンニム」にはなれないですし、女性が安心して活動できる場所を作るには至っていない。新しい生き方を考えていきたいけれど、そんな余裕もなく悩んでいるというのが正直なところです。
━━イ・ランさんほどの実力があっても、根本的な変革には至っていない。
せめてものフェミニスト運動として、できるだけ男性たちを呼んで、直接話す場を作るようにしています。「あなたは今権力を持っているけれど、立場が弱い人のことを考えて、そういう人が傷つかない社会を考えていかないといけないんだよ」と。
男性主義の資本社会では、とにかく速く、効率的に成果を出すことが求められるので、弱い人からカットされてしまう。だからこそ、話す相手には「あなたは今は五体満足かもしれないけど、ある日車椅子になるかもしれない。そんな時どうする?」と呼びかけて、意識を変える。そこまでしてようやく、男性側に気づいてもらえるんです。
“フェスやマーケットの基準に従いながらも、本来の表現を守る──その二重生活が、韓国インディーズシーンの現実です。”
イ・ラン
“売れる”ことと“生きる”ことのあいだで
━━韓国の社会や文化について、ランさんはどのように感じていますか。
色々な人と話して思うのは、韓国の社会はまだ多様性が足りないということです。歴史が大きく影響しています。植民地支配や朝鮮戦争、軍国主義、再開発、アメリカ依存……負けた過去や破壊された文化が積み重なり、余暇や文化を育てる時間がほとんどなかった。文化が禁止されていた期間が長いから、温故知新もない。インディーズアーティストは、K-POPも含めた外のシーンとつながらないと、演奏だけでは食べていけないんです。
━━5人目に登場してくれたプロデューサーの土屋望さんも、「韓国は外に出ていく宿命を背負っている」とおっしゃっていました。
そうです。若いころから日本語・英語・中国語を学んで、外に出て行かないと、という意識があります。国内だけでは食べていけないから、外に出てサバイブするしかない。インディーズアーティストとしても、K-POPや商業音楽とつながりながら活動しないと、名前もキャリアも作れません。
━━直近ではMU:CONなど、国際的なマーケットに参加されていましたよね。
MU:CONに参加した時は、正直言ってかなり違和感がありました。私は今回初めて参加したのですが、ショーケースやマーケットのプログラムは「盛り上がること」「売れること」が基準になっていて、インディーズらしいメッセージを持ち込む余地がないように感じられました。ステージのセットも、見た目も、観客が盛り上がるための“フェス風”に合わせようという空気が漂っていました。
━━インディーズアーティストでもK-POP的なプロモーションや見た目に合わせざるを得ない状況があると。
ええ。外見や衣装、プロフィール写真、曲の盛り上げ方まで、すべてがセオリーに沿う形になっています。自分の音楽の雰囲気やメッセージを守りたいと思っても、期待に縛られて変化してしまう。 でも、その中で生き延びるためには、迎合するしかない。
MU:CONで私が出演したのは一番小さな舞台で、出番はある“綺麗な顔をした男性シンガーソングライター”の一つ前。彼の出番を待っている身なりを整えた女の子たちが前列に多くいて、私のステージを見に来てくれた人が会場に入れなかった。
2025年、MU:CONのショーケースでのライブ
━━私は幸運にも見れていましたが、「日本で抜群の知名度のランさんが一番小さい舞台なんだ……」と正直違和感がありました。
その子達に「皆さん、誰かを待っていますか?」と呼びかけると、気まずそうにうなずいてくれました。そして「オン二は40歳のマポ区に住んでいるイ・ランと申します、あなたたちの”オッパ”を待ちながらお姉さんの曲を聴いてみる?」と呼びかけてみました。そして「世界中の人々が私を憎み始めた」を歌うと涙ぐんでいる子もいて。
「なにこれ、なんで涙が出るの」といった表情で、動画を撮り始めた子もいました。
歌い終わった後、「私は20代の時すごく生きづらくて、怒りだけでこの曲を作った。みんなも色々大変ですよね? お互い助け合いながら生きていきましょう」と伝えると、拍手してくれたんです。
━━K-POP的な盛り上げや売れるための演出とは別の、純粋な交流が生まれた。
皆、生き残るために最善を尽くしているから、場所もお金も持たない中で、体制を批判することが良いとは思わないです。ただ、素敵だと思ったアーティストが、大きな流れに巻き取られてその人らしさを失ってしまう。そういう中で、フェスやマーケットの基準に従いながらも、本来の表現を守る──その二重生活が、韓国インディーズシーンの現実です。
日本、台湾の繋がりを経て、語り続ける
━━2025年の来日ツアーでは、東京・京都・名古屋の全ての公演が大盛況でした。いつ頃から日本と関わるようになったのでしょうか?
日本での活動は、私にとって初めての海外での挑戦でした。2012年頃、ホンデのシーンには日本のインディーズアルバムを紹介する小さなお店がいくつかあり、「日本のインディーズ音楽の多様性はすごいなあ」と思っていたんです。そうしたお店で日本のアーティストがライブをすることになり、サポートのライブを行ったのがきっかけで、つながりができたんです。
今、私の歌詞の翻訳をお願いしている「雨乃日珈琲店」の清水博之さんと知り合ったのもこのころで、日本で初めて演奏したのは金沢で行われた、清水さんの結婚式でした。ホンデでサポートした日本のアーティストが東京でライブを組んでくれたり、長野の松本で友達がライブを企画してくれたりして、お客さんが5〜10人程度の会場でライブを開きました。
━━良い話だ……! その活動が拡大していったんですね。
今は歌詞をスクリーンに投影していますが、最初の数年間は歌詞の翻訳を印刷してお客さんに渡し、1曲1曲伝えて。日本語も覚えて、日本の方と話せるようにして。そうしているうちに、徐々にお客さんの数は増え、30人、50人、100人、500人と広がっていったんです。
━━それから、台湾とのつながりも年々強まっていますよね。
台湾は日本より少し遅く、2015年ごろからのつながりになります。日本での活動を仲介してくれたプロモーターの八幡光紀さんが、その音楽仲間で台湾の ジュビ・リー(李昀儒 / Jubi Lee)を紹介してくれて。私のCDをインポート盤として出してもらったり、色々話をしたりする中で、信頼関係が育って。
そうしているうちにジュビが、イーノ・チェン(※)の個人事務所のCOO兼マネージャーとしてサポートすることになって、「イ・ランとイーノ・チェンは一緒にやったらいいんじゃない?」と言われ、台湾でのマネジメントをお願いしています。
※イーノ・チェン:台湾を代表するシンガーソングライター。音楽アーティスト、俳優、作家など幅広く活躍している。
写真左は、スペシャルゲストのイーノ・チェン
━━大きなシステムに合わせすぎなくても、独自性を出しながら越境し、ファンがついている。そんなランさんに憧れる方も多いと思います。秘訣はなんでしょうか?
一つ言えるとしたら、今も昔も、私の活動は全部サバイブすることにつながっていて、「音楽は食べていくためのひとつの手段」だということです。昔は演奏をしてお金がもらえるところなら地方でも行ったし、韓国で頑張って活動してもお金にならないから日本の演奏活動を仕事にしようとした。もし、私に余裕があって「好きな音楽さえできていればいいよ、フフ」という考えだったら、そうはなっていないかもしれません(笑)
━━今後の展望はありますか。
やりたいことは既にやっているので、近い将来も、遠い未来も、今やっている活動を続けることです。
実は、私のSNSアカウント名「Lang Lee School」は「LANGLEY SCHOOLS MUSIC PROJECT」にインスパイアされていて、バンドメンバーとのグループチャットも「Lang Lee School」と名付けています。バンドメンバーは、私を含め音楽的なエリートの集まりではないし、複雑な事情を抱えている子もいるけれど、そんな私たちもこうして海外で演奏ができ、お客さんに演奏を届けられる。その生き様を届けているんです。
あとは、体力さえあれば、やりたいことはほぼすべて実現できると思っています。
━━ありがとうございました。
<SHAME> Lang Lee Japan Tour 2025 at 東京キネマ倶楽部にて、バンドメンバーとともに
Interviewer’s Eye:勇敢な女性にすべてを背負わせない連帯を
少しの予感と、偶然が導いた今回の取材は、イ・ランさんとの語りを通じて、私自身が「自分の居場所」を振り返る機会になった。「怖い」イメージ作りをしている──本人はそう言うけれど、彼女の本質が愛にあふれていることは、実際に会った誰もが分かるだろう。
取材中、何度も胸を打ったのは、彼女が“自分が特別だから声を上げられる”のではなく、“自分が声を上げないと、もっと傷つく誰かがいる”と考えていることだった。それは正義感というより、生活の延長線上にある、小さなケアの積み重ねだ。
そして、もうひとつ印象に残ったことがある。
私たちはしばしば、勇敢に物を言う女性に「代表」や「ロールモデル」という役割を与えてしまう。でもその肩書きは、ときに重すぎる。
イ・ランさんは、誰かの盾になるけれど、誰かの理想像になるために戦っているのではない。私たちは、ひとりの“強い女性”に背負わせるのではなく、
小さな声や、沈黙の日も含めて、ゆるやかに支え合うネットワークを作ることができる。
それがきっと、彼女が韓国でも台湾でも日本でも続けている「生き残り方」なのだ。
今回話した彼女は、「怖い」イメージなんて、どこにもなかった。かっこつけず、飾らず、それでも傷つきながら、自分と誰かを守ろうとしている人の笑顔だった。 私も、自分の場所を諦めずに、もう少しだけ続けてみようと思う──そんな気持ちになった。彼女が語った「あの頃のホンデ」のように、生活と芸術を混ぜながら。
Information:
イ・ラン 初の沖縄ライブツアー決定!
ニイニイヨン音楽祭2026
- 開催日
- 2026年02月22日(日)~23日(月)
※イ・ラン+松丸契の出演日は2月22日です。 - 会場
- パレットくもじ前広場『UFURUFU』
琉球新報本社1階ロビー - 料金
- 入場無料
- 詳細
- 公式Xアカウントはこちら
イ・ラン | 荘子it | 松丸契
Today I am, in Okinawa
- 開催日
- 2026年02月24日(火)
- 開場・開演時間
- 開場18:30 開演19:00
- 会場
- 桜坂劇場 ホールB
- 出演
イ・ラン | 荘子it | 松丸契
- 料金
前売4,500円 当日5,000円(全席指定)
※要1ドリンクオーダー小学生以上チケット必要となります。未就学児で座席が必要な場合も要チケットとなります。車椅子ご利用のお客様、その他、介助をご希望のお客様は、事前に会場へご連絡ください。
本公演では、日本語訳詞をリアルタイムで映写いたします。
- 前売り券発売日
- 2025年11月29日
- チケット販売店
イープラス・プレオーダー
受付期間:2025/11/15(土) 12:00 ~ 11/19(水) 23:59桜坂劇場窓口
ファミリーマート各店・イープラス
ローソンチケット・チケットぴあスポット
HARVEST FARM WEB SHOP(手数料無料・当日お渡し)- お問い合わせ
- 問合せ:桜坂劇場098-860-9555
- 備考
主催:H&D
